2010年11月30日火曜日

“王様の椅子” 千戸(チョンホ)新市場2

野菜屋さんの御婦人椅子。シンプルー。
婦人服屋の御婦人椅子。曲線が美しいプラスチックの椅子とかわいいオバちゃん服とセット。実は、王様の椅子は隣にあり、おばあちゃんがそこで試着中で写真を撮る事ができませんでした。
紳士服屋の旦那椅子。イギリス国旗のユニオンジャック柄の座布団と共にシンプルな構成。

“王様の椅子” 千戸(チョンホ)新市場1

生活食品屋さんの御婦人椅子。ひもが付いてますね〜多分、盗難防止。いや違う。ヒップウォーマーでした。
食器屋さんの旦那椅子。重厚なイメージの座布団がいいです。椅子の下はお掃除セット。
穀物屋さんの御婦人椅子。生活感のある背景の小物類の雰囲気がいいですね。ヤカン、扇風機、カレンダー。。

今回は、地下鉄5、8号線千戸(チョンホ)駅近くにある千戸新市場に、王様の椅子を撮りに行ってきました。
千戸駅を降りると、駅前にドカーンと千戸のシンボル現代百貨店(ヒョンデベッカジョン)があります。そして、その周辺はEマートと言う大型スパーや若者向けの商店街などがあり、今日本でも人気のある少女時代(ソニョシデ)やKARAのBGMが流れている賑やかな商業地を形成しています。
そんな賑やかな商店街を通りすぎたところにあるのが千戸新市場。名前に新がついていますが、生活食品と生活用品販売を中心とした古い市場です。

2度目の王様の椅子の写真撮影を通して、こんな事を考えました。

王様の椅子は、訪問者から見た視点では、店主が居なくても、その存在で、人(店主)をイメージすることができ、飾らない自然なその表情が訪問者を快く迎えてくれる。店主から見た視点では、椅子から店の状況を一目で把握できると共に、訪問者との交流を安易にできる場所に椅子がある、などなど、王様の椅子とは、店主と客が一対一の心と心の交流を生む不思議なツールであるのではないかと思いました。そして、その交流を可能にするもう一つのアイテムがアーケードの存在。これがあるお陰で、暑くても、少し寒くても、お客さんの近いところで客を待つことができる。

地下鉄5、8号線千戸(チョンホ)駅の近くにある千戸新市場内の食堂。韓国の古い市場には、飾りっけがなく簡素な造りでステキな食堂があります。

2010年11月29日月曜日

2010年11月21日日曜日

紳士服屋の旦那椅子

男っぽさが感じられる事務用椅子。たぶん、背もたれの布は作業服。
椅子の背後に掛けかけてあるベルトのハングル文字は民間防衛と書いてある。
たぶん、日本で言う民間消防服かもしれない。

婦人服屋の御婦人椅子

シンプルなパイプ椅子。オバちゃん用のチョッキがかわいい。

肉屋の御婦人椅子

牛のお店マークと包丁がセットになった椅子。写真を撮り終わって、その場を離れると、オバちゃんが大きな声で“日本人の写真家だってー”と近所の人に言いふらしてました。

食品屋の御婦人椅子2

学校椅子スタイルでチェック模様の座布団が可愛い椅子。背もたれには、“老人が使います。持ってかないでください”と書いてあります。

食品屋の御婦人椅子

放射状の曲線が美しい木製背もたれの椅子。背後のハングル文字は、エビの塩辛。エビの塩辛は、キムチや鍋物の隠し味の材料として使われます。

食品雑貨屋の旦那椅子

革張り風の風格ある椅子。王様の椅子ぽぃ。

王様の椅子

地下鉄8号線の寿進(スジン)駅近くにあるソンホ市場の“王様の椅子”を撮りにいってきました。
 
“私は日本人の写真家です、椅子を撮らせてください”と声をかけると、市場の店主は快く対応してくれました。
ソンホ市場は、古くからの市場であるので、店主のほとんどがオジちゃん、オバちゃん。写真を撮り終わって、その場を離れると、“日本人の写真家だってー”と近所の人に言いふらすオバちゃんや、ただ笑顔だけで、わかったよと言うオジちゃん、ここは紳士服を売ってないよと声をかけるオバちゃんなど、みなさんの反応は様々であったが、良い人ばっかりでした。市場で声をかけて写真を撮るのは初めての経験だったので、緊張していた気持ちが和みました。
 
さて王様の椅子は、近くに家具屋が多いこともあり、バリエーションが多い。
(別途アップした写真)革張り風の風格ある椅子は食品雑貨屋の旦那椅子、放射状の曲線が美しい木製背もたれの椅子は食品屋の御婦人椅子、学校椅子スタイルでチェック模様の座布団が可愛い椅子は食品屋の御婦人椅子、牛のマークと包丁が見える椅子は肉屋の御婦人椅子、シンプルなパイプ椅子は婦人服屋の御婦人椅子、男っぽい事務椅子は紳士服屋の旦那椅子。
そして、極めつけの椅子は、オバちゃんが映っているこの写真の椅子。お尻を暖めるホットマット、毛布、枕、TV。寝れる、TVを見れる、寒くない、これが本当の王様の椅子だと思った。

韓国の古い市場は、建物がバラック小屋で通路が迷路状になっていて闇市の面影が残っている。そして、道路に面した店舗は商品を歩道に並べ、人が一人歩くスペースしかない。など、日本の市場では見られない光景を見ることができ、とても面白い。いままで自分は、ただその面白い光景の部分だけを興味本位で写真を撮ってきた。今回の王様の椅子の撮影で、市場の店主と片言ではあるが会話をし、今まで見えなかった魅力を発見した気がした。

※台東区の佐竹商店街にて活動をなさっている笑点街さま、御感想よろしくお願いします。

2010年11月19日金曜日

2010年11月18日木曜日

なごみ

古い工場地帯の中でひっそりとした佇まいを見せている食堂。奇麗に整頓されたオシャレな食堂よりも、こちらの食堂のほうが魅力的に感じるのは、変ですかな?
 
※台東区の佐竹商店街にて活動をなさっている笑点街(http://showtengai.exblog.jp/)さん訪問記念で“椅子”というラベルを追加。椅子ってイイですよね。その存在感は自転車の兄弟かと思ってしまうぐらいステキだ。人間にとって椅子は“静”の道具、自転車は“動”の道具。それら二つが合体したのが“自動車”ということになるのかな。

2010年11月15日月曜日

森の魔力

薄暗い森には魔力が存在します。不安、迷い、孤独。
普通では味わえない動物的な野生の本能が蘇る。
それは、人間が動物として本当に生きていく上での一番大切な感性だと思います。

2010年11月8日月曜日

対話する椅子

 現代の都市生活は匿名性の上に成り立っている。つまり、人々が匿名性と言うシールドを身に纏い生活しているのだ。
 人はその匿名性があるがゆえに、地方生活にありがちなリスク(近所付き合いなど)をおわなくて済むのだ。
 考えてみよう。一人で歩いている風景が都市から田舎に変わったら。その人は直ちに不審者となるのだ。
 都市は人間が望んで創ったものだが、人間は都市に何を望んだのか?
かつての都市には、人と人の繋がりがあったが、今はマンションやアパートなどの都市装置が増加し、干渉されない自由な空間ができてしまった。つまり、人間は他人に干渉されず、自分を守る部屋と言うシールド装置を作ったのだ。

2010年11月1日月曜日

人影の無い街の人影の無いベランダの影

今週末、踏十里(ダプシプリ)と言うソウル市内の再開発を見に行ってきた。この開発区域には、人が住んでおらず、建物だけが壊されるときを待っていた。建物の窓やドアが全部壊され、人影や音がなく、所々に乞食のような人が隠れて住んでいる。
私は、この影の空間で、ささやかな音も動きも逃すまいとして緊張した。そして、森の中の狩人や獲物を捕らえようとする動物と同じような感覚を味わうことができた。

2010年10月30日土曜日

Mannequin

最近、機械屋業界で女性型ロボットが話題になっているが、どんどんリアルになるにつれて気持ち悪くなってくる。知性がないのにあたかも感情があるように見えるからだ。
研究者がどんどんリアルを求めて完全にリアルになった時は、彼女達は研究者の理想の女性になっているかもしれない。

かつて、パソコンや小型ロボットは自作できなかったが、現在はある程度の知識があれば誰でも作れる。近い未来、リアルになった彼女たちも、それと同じ運命を辿るのだろうか。

2010年10月27日水曜日

自転車

最近、自転車の投稿多いな。
下町で見つけた昔風自転車。サドルのテカリと中途半端なデザインのチェーンカバーが良いです。

2010年10月18日月曜日

金属門

鉄の町工場では、無垢な金属が悲鳴をあげながら、新しい形態へと生まれ変わる。

宇宙の沸騰するエネルギーから地球が生まれ、生命が生まれたように、この鉄の町工場からも、沸騰するエネルギーから金属片が生まれ、機械が生まれる。

生命と機械。この二つの物質は、異なったものであるが、その創造される過程は同じだ。

この金属門の中には、ひとつの宇宙が存在する。

2010年10月17日日曜日

放置された身体

私はどれぐらいの時間もがきつづけてきただろうか?

もう私を開放してくれる主人はこの世にはいない。

そして、私の前を通りすぎる誰もが私の存在を意識してくれない。

人間の生活を豊かにしてくれる機械。

しかし、機械は一度、主人を失うと闇の世界に葬られてしまう。

機械は人間そのもの。拡張された身体の一部だ。

だが、今の人間はいとも簡単に身体の一部を闇の世界に葬ってしまう。

2010年10月11日月曜日

野良-Alley cat


写真を向けても逃げない野良猫。韓国では珍しい。大抵すぐ逃げる。
自分は通常広角レンズでスナップしてるので、50cmぐらい近づかないと猫は撮れない。
犬はいつも落ち着きがないから写真を撮るのが難しいが、逃げない猫は必ずかわいいポーズを見せてくれる。だから好きだ。

2010年10月6日水曜日

シンクロ二シティ F.D.ピート

宇宙は、ある創造的な展開行為によってささえ支えられています。ここには絶対的に固定された秩序はなく、それはつねに変化をつづけるコンテクストに対応することができます。あきらかに、創造性は自然のあらゆる要素に浸透しています。しかし、ほんとうにそうであるならば、なぜ創造性がわたしたち自身の生活において、もっとあらわにならないのでしょう?無限の創造性は、ふつう特別な贈り物、特異な、ただ芸術や科学の分野でときどき出現する天才にのみかかわりのあるものだと思われているばかりです。天才とは対照的にほとんどの人々は、自分にとっての創造性への能力はひどく限られたものだと感じています。かれらはその日その日の仕事や人間関係や家族のことなのですっかり気を取られているため、彼らには変化のためのエネルギーや余地がほとんどのこされていないのです。したがって、ある人の人生において実際に発揮される創造性は、ふつう境遇やさまざまな慣習、信念、社会からの制限によって規定される、かなり狭い範囲へと回路づけられてしまっています。シンクロ二シティ F.D.ピート

わたしは、立派な歴史遺産を見てもあまり感動しません。現在残る歴史遺産のほとんどは勝者の遺産です。芸術性を発揮した建築家、芸術家などの人々には敬意を払いますが、歴史遺産を建造するときに汗を流した、多くの涙を流した弱者や敗者の亡霊を想像してしまうからです。普通の観光客はそんな事を想像するでしょうか?ただ、奇麗、美しい、偉大だだけでしょう。多額の宣伝と多額の費用を使って、歴史的勝者の遺跡を見せて見るだけです。

いまの社会や教育のシステムは、すべて金に還元されています。よい学校にいって良い製品を作り、よい生活をする。より高価なもの、他にはない芸術性があるものを求めて人の欲望は突き進んでいきます。

ふつう人も便利さに乗じてインターネットショッピング。くだらない娯楽番組。お笑いタレントを見て、その日の鬱憤をはらし、ビールを飲む。

人へに対する多様性を潰す社会や教育のシステムによって今も勝者による社会が続いている。努力しない者が悪いと言う人がいますが、努力できない者にも本当は創造性があって、それを認め活かす社会システムがないのではないか。

だから、殺人、強盗、戦争などの不幸が生じる。世界的な代表的な不幸は、9.11事件だ。富めるキリスト教的国家(決してキリスト教を批判しているのではないです。キリスト教と資本主義が心臓の右心房と左心房の働きで現在の勝者の社会が形成されてきたこと)と貧しいイスラム教的国家(資本主義や金から金を生む利子を頑に批判する国家)。

わたしは、今、人間の想像性を発揮して、固定された秩序を変化させる時期にきていると思います。


2010年10月4日月曜日

2010年9月28日火曜日

室外機団地

まる裸の室外機が並ぶと異様だ。
まるで自分の体の中の内蔵を見ているような。
機械も人間もその異様さは同じであると感じた。
そして、その異様さとは、名付けえない何ものかを、無条件で反射的に仮想の手(目)でつかんでしまう恐ろしさであると思えた。

2010年9月26日日曜日

タルトンネ体験

韓国のお盆にあたる秋夕(チュソク)に昔川崎市の文化センターで十数年働いていた韓国人と知り合いになることができた。

彼は油絵の先生で、現在韓国内で芸術活動を行いながら生活し、気さくな性格で、自由な精神の持ち主であるため、友人も多い。大学教授、写真家、美術家、舞踊家など様々だ。

私は彼の性格にひかれ、共にお酒も入ったことで、彼の家に泊まることになった。

彼の家は、ソウルの恵化(ヘファ)の北側の山麓地、山肌に無秩序に家が建ち並ぶいわゆるタルトンネ(月の町、貧民街)に位置し、なんと山の頂上に家があるため、ソウル市街地を一望できるのだ。(その家からの夜景、朝の清々しい眺望は格別だった)

以前から私はタルトンネの生活について関心を持っていたので、そこで貴重な経験をすることができた。

タルトンネといっても多少現代化されているものの、風呂はなく、炊事場にある小さなスペースで温水とタライで体を洗う、居間は4畳程度、押し入れもなく、天井の高さが低い、窓も必要最小限(たぶん冬の寒さ対策)。娯楽施設はTVとCDラジカセのみ。家の上には屋上があり、共同の物干場、家庭菜園、休息の場として利用されてる。

地理的に標高が一番高い場所にあるので、冬を除く季節はとても気持ちがよく、洪水の心配もない、湿気対策も不要、周りに幹線道路がないので静か、そして毎日最高の眺望、夜景、星空、月夜を楽しめる。家賃は日本円で格安の1万3千円。本当に月(タルトンネのタル)に近い天国のような家なのだ。

彼はこの天国で、現在のすべてが電子化された便利な高度資本主義生活をあざ笑うかのように楽しんで生活をしていた。

現在進行中の資本主義の一種の自壊現象がおきている中で、ちょっと不便なぐらいの生活が今後生きる現代人に求められている(商品化されてない本当のエコライフ)と考えている自分にとって、理想の家であると思った。

秋光-Autumn Light

やっと涼しい季節になりました。夕暮れ前の公園で佇む人達。幸せのひと時です。

2010年8月21日土曜日

MacBook Pro



MacBook Proを購入。

いままで、ウィンドーズだったので、現在悪戦苦闘中。

そして、お店でいろいろお世話になった店員さんの奥さんがナント日本人。
その奥さんはアメブロで“ソウルなう☆韓国生活ブログ”をやってらっしゃるお方でした。
アメブロの海外生活ランキングで27位と羨ましいランク。。。

涼しくなってきたので、おろそかにしてた写真投稿を再開します。

2010年8月6日金曜日

Flower

パソコンまだ買ってない。ケータイをIphoneにしたからMacにしようかな?

2010年7月20日火曜日

Fly

パソコンの故障で機能不全状態。多忙の中、久々にUP。