2010年2月24日水曜日

2010年2月23日火曜日

七輪

日本であまり見られなくなった七輪。
韓国では飲食店などで現役バリバリで働いている。
よく道端に使用ずみの練炭が山積みされている光景をよく見る。
そのような光景を見ると、自分が小さいころ、実家では堀コタツで練炭を使っていたので、懐かしい気持ちになってしまう。練炭を使うのは不便だったけど、なにか一家団欒と言う匂いが感じられていい気持ちになる。
 
今の時代、電気仕掛けの生活に慣れてしまって、便利になりすぎている。
不便は、音、匂い、風、感触など、なにか気持ちの間を埋める様々な要素が人間の感性にうったえてくる感覚がある。
だから、人間にとってちょっと不便なほうが良いかもしれません。
 
“不自由にならないと、自分が本来持っている自由さに気づかない” 「視覚はおわらない」佐々木正人

2010年2月16日火曜日

超近景-Hyper close view

風景の中の構造物の見え方をあらわす言葉として、近景、中景、遠景と言う言葉がある。
新東京タワー(Tokyo-Sky-Tree)には、そういった見え方が当てはまらないぐらい巨大過ぎる。
この写真の状態で、まだ半分の高さだ。
タワー周辺では、口を開けて見え上げないと見えない“超近景”の視点に多くの人が集まり、この巨大な構造物の成長記録をファインダーにおさめていた。

私は現地で、新東京タワーとは、東京が第一から第4の山の手へと南東部に向かって成長する現象に対峙する、なくなりつつある北西部下町工場群の鉄の亡霊かもしれないと感じた。
 
(旧正月休暇で帰国。数年前新東京タワーの景観の仕事に携わっていたので、ちょっと見に行ってきた。そして、ついでにRICOH-GXRを購入!。関係ないけど、穴から顔を出した池袋のEchikaちゃん、カワイ過ぎ~だった)

2010年2月10日水曜日

Noise barrier

言語をひとたび習得すると、個人の知的行動様式がこの言葉の構造によって支配される:サピア-ウォーフ の仮説

私は<ノイズ>という言葉の構造によって支配されている。

2010年2月8日月曜日

写真展のテーマ-Photo exhibition content

 
3月3日から16日まで、ソウル市の文化街である大学路(テハンロ)の写真ギャラリー《空間-塁》にて開催される写真展のテーマの報告。
 
ノイズ -Noise
“街にはさまざまな〈からだ〉がある。なんでもない〈からだ〉はなんて面白いんだろう。一方、街から〈ノイズ〉が排除される傾向はより強まっており、無意識のうちに社会はノイジーな〈もの〉や〈こと〉を嫌悪する。街の〈からだ〉が本来持っているであろう魅力が嫌悪(=排除、差別)の対象になったらこれほど気味の悪いものもない。排除される〈ノイズ〉を擁護し、ノイジーな〈からだ〉の魅力を擁護するとき、表現に価する。”

日本の演劇家であり、評論家である宮沢章夫(MIYAZAWA AKIO)氏の言葉である。
 
彼のこの言葉は、私の都市風景の考え方を変えた。
そして、この言葉にインスピレーションを得て、都市風景をファインダーにおさめる生活がはじまった。
 
都市と人とノイズ
私は韓国に来る前は、日本の東京近郊に住んでいた。今、東京都心では六本木ヒルズをはじめとする巨大な都市開発が進み、その建物の周辺にはブランドショップや専門店、心地よい音楽を聴きながら、楽しい会話や食事を楽しむお洒落なカフェや飲食店が開店し、その魅力を求めて日本中から大勢の観光客が訪れている。 私は、その巨大化した空間の大掛かりな装置には一切〈ノイズ〉がなく、そこにいままで蓄積されていた記憶の痕跡までもが排除され、資本主義に翻弄された人々で溢れかえっているまがまがし光景に苛立ちを感じずにいられなかった。
 
都市は、過ぎ去って古くなったものを排除し、かつてその場所にあった記憶も人も物も新しくしていくが、その中には、置き去りになって、残っている古いものがある。しかし、それらは、いつのまにか人々の意識の中で排除され忘れさられ、都市の〈ノイズ〉となっていく。
私は、都市とは、新しいものと古いものがオーバーラップして出現する現象であり、それが本当の都市の魅力であると考えている。
 
人は常に、古いものを〈ノイズ〉として排除し、綺麗でありたいと考えている。しかし、私は、綺麗であることが、人の本当の魅力ではないと考える。きれいな化粧をしてきれいな服を着た人は、ある意味では、資本主義は、大量生産 "人形"に過ぎない。 私は、人が隠したいと思っている〈ノイズ〉を見たときに、人の本当の魅力を感じる。
 
韓国にて、職場生活をしながら、私は魅力的だと感じていたその〈ノイズ〉を発見することになった。
ソウル都心のあちこちに隠れているの〈ノイズ〉を発見し、そのノイズの視覚要素が体をめぐり極上の時間を味わい、その刺激を求め歩き、歩いた。
 
金属を切ったり削ったりする金きり音、オイルの匂い、山積みされた鉄板、ネジ、歯車。
使われて、使われて本物になっていく道具達。
小部屋のような小さな工場の中で働く人々。
生き生きした印象が一切なく、死に掛けたような市場や公園。
市場の中を走り回る貨物自転車、荷台、バイク。
まるで動きそうな生き物のように見える電線や配管。
 
私は、資本主義に翻弄された都市群集のヴェールを抜け出し、資本主義の残骸として残っている〈ノイズ〉を愛情な眼差しでファインダーに納めて、ソウルの本物の表現を読み取ろうと試みた。

2010年2月6日土曜日

2010年2月4日木曜日

電柱体

U型電柱、こんだけ変な形してたら、電柱と言うより電柱体。