2010年10月6日水曜日

シンクロ二シティ F.D.ピート

宇宙は、ある創造的な展開行為によってささえ支えられています。ここには絶対的に固定された秩序はなく、それはつねに変化をつづけるコンテクストに対応することができます。あきらかに、創造性は自然のあらゆる要素に浸透しています。しかし、ほんとうにそうであるならば、なぜ創造性がわたしたち自身の生活において、もっとあらわにならないのでしょう?無限の創造性は、ふつう特別な贈り物、特異な、ただ芸術や科学の分野でときどき出現する天才にのみかかわりのあるものだと思われているばかりです。天才とは対照的にほとんどの人々は、自分にとっての創造性への能力はひどく限られたものだと感じています。かれらはその日その日の仕事や人間関係や家族のことなのですっかり気を取られているため、彼らには変化のためのエネルギーや余地がほとんどのこされていないのです。したがって、ある人の人生において実際に発揮される創造性は、ふつう境遇やさまざまな慣習、信念、社会からの制限によって規定される、かなり狭い範囲へと回路づけられてしまっています。シンクロ二シティ F.D.ピート

わたしは、立派な歴史遺産を見てもあまり感動しません。現在残る歴史遺産のほとんどは勝者の遺産です。芸術性を発揮した建築家、芸術家などの人々には敬意を払いますが、歴史遺産を建造するときに汗を流した、多くの涙を流した弱者や敗者の亡霊を想像してしまうからです。普通の観光客はそんな事を想像するでしょうか?ただ、奇麗、美しい、偉大だだけでしょう。多額の宣伝と多額の費用を使って、歴史的勝者の遺跡を見せて見るだけです。

いまの社会や教育のシステムは、すべて金に還元されています。よい学校にいって良い製品を作り、よい生活をする。より高価なもの、他にはない芸術性があるものを求めて人の欲望は突き進んでいきます。

ふつう人も便利さに乗じてインターネットショッピング。くだらない娯楽番組。お笑いタレントを見て、その日の鬱憤をはらし、ビールを飲む。

人へに対する多様性を潰す社会や教育のシステムによって今も勝者による社会が続いている。努力しない者が悪いと言う人がいますが、努力できない者にも本当は創造性があって、それを認め活かす社会システムがないのではないか。

だから、殺人、強盗、戦争などの不幸が生じる。世界的な代表的な不幸は、9.11事件だ。富めるキリスト教的国家(決してキリスト教を批判しているのではないです。キリスト教と資本主義が心臓の右心房と左心房の働きで現在の勝者の社会が形成されてきたこと)と貧しいイスラム教的国家(資本主義や金から金を生む利子を頑に批判する国家)。

わたしは、今、人間の想像性を発揮して、固定された秩序を変化させる時期にきていると思います。


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