2009年1月31日土曜日

釜山広域市市庁舎

今日は、釜山広域市にて仕事の打ち合わせ。
写真は市庁舎喫煙室からの眺望。 低層建物のゴチャゴチャ感が面白い。
今回もカラフルなタルトンネを見に行く時間がなく、残念。
最近、仕事が忙し過ぎる。

2009年1月28日水曜日

大丸有

数日間日本に帰国。韓国の今の気温から考えると日本(東京)は、春。あったかい。

さて、帰国して必ず散策するの場所がある。その場所は、大丸有(大手町、丸の内、有楽町)。
散策する理由は、日本一都市の変化が激しい場所で、好きな工事現場(音と匂いと光りの職人芸術空間)を見ることができるからだ。
そして、もう一つの理由は、ブツヨクを満たすため。(韓国でのショッピングは、選択肢が少なく、自分にとってあまり魅力的なものがないので、日本に帰るとブツヨク大王になってしまう)

2009年1月23日金曜日

ニュータウン開発の事故

ソウルの秋葉原と呼ばれるヨンサン地区のニュータウン開発で6名の死者がでた。
開発する行政と立ち退き拒否をする住民との抗争の末の結果である。
どちらが悪いのかはよくわからないが、韓国は、過去や現在よりも、未来を優位とする進歩主義が強いのだろう。
写真は去年撮影したヨンサン地区の現場写真。

2009年1月19日月曜日

漢江の雪景色

冬、漢江(ハンガン)は、氷が張っているので、雪が降れば、この様な風景になってしまう。

2009年1月18日日曜日

東ソウルバスターミナルの亀さん

毎日ご苦労さま。
君がいないと喧嘩が起きちゃうよね。
サクラダファミリアでは、君は亀の形をしていたね。
可愛かったよ。
そんときぼくは寝転んで、君に挨拶したよね。
そんな格好して、毎日みんなの出会いと別れを見ていて辛くない?

2009年1月15日木曜日

街角商店

飲み物で、缶コーヒーはあまり美味しくないが、豆乳とバナナ牛乳は美味しいです。特に、巨大なヤクルトのような容器に入ったピングレのバナナウユ(バナナ牛乳)は、甘くて美味しくお勧めです。

2009年1月14日水曜日

韓国のニュータウン開発

 子供のときに純粋な気持ちで体験できた身近な風景と記憶を一切白紙にしてしまう韓国のニュータウン開発。場所の経験が、どこにでもあるような“当たり障りのない”希薄ものに変わっていく。
 ここから先は、蝶がマークのSK建設のニュータウン開発敷地。以前は、“当たり障りのある”人間臭いまち、市場があった。
 
最近、寒すぎて外で写真が撮れない~。

無題


2009年1月13日火曜日

釜山駅のハタラキモノ

今日は、仕事の打ち合わせで釜山市へ行ってきた。時間がなく、寒くて、タルトンネを見に行けなかったのが残念。
写真は釜山駅で働いていた掃除機くん。愛らしい丸い目とゆっくり歩く姿に一目惚れ。
製造はpowerboss社。ホームページを見てみたら、愉快な仲間達がいました。

2009年1月9日金曜日

『ネット社会』とファシズム

ネット社会において、ちょっと前は、浅生太郎は神、今は田母神が神。
容易に凄い人を神と呼んでしまう日本のネット社会。
あるネット政治番組では、田母神さんを“閣下”と呼んでいた。
あまりにも幼稚ではないかな。

20世紀初頭に現れた芸術運動『イタリア未来派』。
それは、「少なくとも3つの特質をファシズムと共有していた」。
すなわち、“社会における機械(機械技術)のロマンテックで無知な賛美、敵対者に対する物理的暴力の行使、若さに対する陶酔である。”
これを今のネット社会に置き換えると、
“ネット社会におけるインターネットのロマンテックで無知な賛美、ネットの敵対者に対する暴力的発言の行使、若さに対する陶酔である。”
『イタリア未来派』は、物理的で見える力を有しているのに対して、ネット社会はそうではない。
たぶん、今の幼稚なネット社会では、『イタリア未来派』に見られるような暴力的ファシズムの萌芽はないだろう。

韓国の音楽

お気に入りの歌手は、브라운아이드걸스(Brown Eyed Girls)。
若い女性グループだが、彼女たちの音楽は、気持ちよく聞け、なぜかストレスが発散できる。

2009年1月8日木曜日

スケート場

自宅近くのスケート場。毎年冬になると公園の一角にスケート場が作られる。韓国の子供達は元気だ。

2009年1月7日水曜日

韓国のキリスト教(昨年のまとめ)

 自分は週1回教会に通っている。それは、韓国社会に早く溶け込むためと、教会が、仕事、情報交換、友人、家族、恋人、勉強、遊びなどあらゆる面での社交場的側面を持っているからだ。
以前は日本人牧師さんのいる教会に通っていたが、現在は日本語の話せる韓国人牧師さんのいる教会に変えて通っている。変えた理由は、韓国社会でこれほど多くの人が、キリスト教徒になった理由を直接韓国人から聞いて勉強したほうが本質的な回答が得られると考えたからである。

 自分は良い宗教であれば信じていいと思っているが、韓国のキリスト教は、独特の雰囲気があり、なかなか馴染めない部分が多く、布教活動について批判的な感情すら持っている。(お世話になっている牧師さん、すいません。私は答えを探しているのです。)
 批判的な感情とは、韓国最大級の某教会(統一教会ではないです)の日本での布教活動だ。
さいたまスーパーアリーナで行われた某教会の布教イベント『韓流フェスティバル~ラブ・ソナタ東京~』を例にあげるならば、イベントタイトルにある“韓流”、“フェスティバル”、“ソナタ”これらの言葉は商業主義的言語であり、日本人の熱烈な韓流イメージに対する陶酔を利用して、布教を行使しているとしか思えないのである。

……ゆっくり時間をかけて、韓国人牧師さんと議論していきたい。
 
(写真は、埼玉アリーナではなく、昨年自分が参加した某教会の30周年記念イベント会場の写真)

2009年1月4日日曜日

韓国の村歩き(昨年のまとめ)

 韓国を歩いていて一番ショックだったのは、月の街(달동네)や蟻の村(개미마을)、九龍村(구룡마을)など、様々な事情で貧しい人々が集まって住む街があったことだ。漢江の奇跡(한강의 기적)と言われた韓国の高度成長の裏側に、この様な痛ましい現状があることを知って、人間の愚かさ、悲しさ、寂しさを感じた。
 そして、このようなことを韓国の人に聞いても、貧困街の話にはあまり関心を示さなく、月の街(달동네)は仁川市水道局タルトンネ博物館など、一種の観光資源として取り扱われているのも悲しい現状である。
 
 思うに貧困の問題は、そのまま差別の問題であり、他者への想像力の欠如の問題なのではないだろうか。それは単純に、差別的な境遇に置かれた人々が貧困に陥っているというようなことではなしに、貧困という事態が、多くの人に見えてない(関心がない)というところに、より本質的な差別があるということを意味している。紀田順一郎『東京の下層社会』

2009年1月3日土曜日

韓国の街歩き(昨年のまとめ)

  韓国の街を歩いていて感じていたことだが、一般民家の家のつくりが日本と違い自然素材の建材を使用していることが多い。特にレンガ張りが多いが、日本の化学建材の石張り風、レンガ張り風と比べ、見た目に違和感がなく、見ていて気持ちがいい。
 また、舗装はコンクリート舗装がほとんどで、手作り風な階段やちょっと雑な仕上げに味があり親しみを感じる。
 つまり、韓国の街は、人工的なものが少なく、さまざまな環境ノイズを内包しているので、その場所が持っている都市的なゲニウス・ロキ(場所の地霊)が、身体や精神とフィードバックする感覚を味わえるのである。

2009年1月1日木曜日