2009年5月30日土曜日

犬肉スープ専門店と古本屋


独立門駅近くにあるヨンチョン市場の脇道にあった犬肉スープ専門店(看板)と古本屋。
犬肉スープ専門店のあった脇道は1m程度の狭い道。暗くて怖い雰囲気だったが、普通に一般の女性が通っていてひと安心。考えすぎだった。
古本屋には、日本の本もチラホラあって意外だった。
いつも感じるが、韓国の市場の脇道は意外性があり面白い。

2009年5月26日火曜日

高いところへ

高いところへ登ろうとしている少女。
ツインタワーの大きな存在と、少女の小さなこころ。
どんな気持ちで、その風景を眺めているのだろうか?
自分の未来、希望、思い出なのか。
それにしても、ツインタワーの存在が大きすぎではないか。

そんな瞬間であった。

2009年5月25日月曜日

理性が働かなくなる時


ソウル駅北にある西大門公園。
世界的な不景気のあおりを受け日本の都心部の公園と同じく、この公園にも職の無い人々が生活している。
私は、この公園の散策中に、不信な光景に出くわした。
公園のマリア像のモニュメントの裏側で、上半身裸の女性が失神したような感じで寝そべり、近くで男性がふてぶてしい顔でタバコを吸っていたのだ。
なにがあったのだろうか?
近くのベンチで休息していると、1人の男性が声を掛けてきた。彼が話した内容はこうだ。
「あの二人さっきまで、屋外プレーをしていたんだよ」
「そして、その周りでは浮浪者が見学していた」
「あの男、大きいナニをだしてやっていたんだよ」
「近くの教会結婚式場からの帰りの客がその光景を発見して警察に電話してたよ」
「この近くにいると危ないから離れたほうがいいよ」
教会、結婚、マリア像、そして浮浪者による公共空間での屋外プレー。
幸福と不幸の境目で、人の理性が働かなくなった結末。
写真は、ソウル中区正忠路駅近くのヤクチョギルにあったタルトンネ。

2009年5月21日木曜日

カルティエ・ブレッソンの言葉

化学技術が鳴らす警笛の破壊的な音に包まれ、グローバリゼーションという新たな奴隷制度と貪欲な権力争いに侵略され、収益優先の重圧の下に崩壊する世界にあっても、友情と愛情は存在する。アンリ・カルティエ・ブレッソン

彼の言葉は、時代的に20世紀というシステムが生まれ始めたときに感じた言葉だと思う。
化学技術の進歩から新しい可能性を見出し、デザイン、建築、工学など様々な技術・文化が花開いた時。そして、一方でベンヤミンが言うように、「技術」が「芸術」の「アウラ」を解体していった時。

今は20世紀というシステムが終わろうとしている時だ。
そのような時代の中で、新しい可能性をどこから見出せばよいのだろうか?
20世紀というシステムが生まれた過程の逆で考えてみると、これからの新しい可能性とは、解体してしまった「アウラ」を再構築していくことかもしれない。

この予感。今カメラ業界でおきている。オリンパスとペンタックスの最近の動向。カメラが本来持っていた「アウラ」を再構築し始めている。

2009年5月15日金曜日

梨泰院(イテウォン)の換気獣

梨泰院(イテウォン)に生息していた換気獣。
どのように呼吸しているんだ?

2009年5月12日火曜日

梨泰院(イテウォン)の路地風景





南山(ナムサン)の南麓にある梨泰院(イテウォン)。
外人の多い街として有名だ。
街の紹介(ショッピングや観光)は詳しいサイトに任せるとして、商店街や住宅街の裏路地を紹介したいと思う。
梨泰院(イテウォン)は、丘陵地の高所に形成された街なので、歩いていて楽しい。
歩いている途中、路地の間から南山や南山タワーが顔を出したり、開発中のビル群やマンションが遠方に見えたりして眺望を楽しむことができる。
また、谷風や山風が発生しやすく、今の季節に路地を歩いていると、風道で静しんでいる人達をよく見かける。井戸端会議をするおばちゃん。タバコを吸って休憩しているおじさん。ただボーッと座っている老人。
そして、韓国恒例の意味不明な家やタルトンネも見かける。
人通りの少ない商店街に入ると、ここは韓国じゃないと思ってしまうほどのアーケードがあったりする。
(文章の流れと写真が逆になっちゃいました)

2009年5月11日月曜日

ウィルスの生きる意味

おれの生きる意味は何だと思う?
それはパンデミックで人間に無能さを知らしめることだよ。
おれには、人間の持っている“さまざまな欲”というものをもっていない。
肉体も無く、脳も無く、まるで小さな機械だから、欲なんちゅうものは必要ないんだよ。
人間は成長、成長で生きているが、おれはただの変化(へんげ)で生きる。
しかしま~、人間は、成長、成長って言っているが、どんどん自分の首を絞めていることに気づいてないね。最近流行りのエコなんかも、結局商業主義化され、ものの買い替え需要を増加させているだけ。
成長、成長で世の中がスピード化・グローバル化され、自分が生きる世界を短時間で広められるようにしてくれて、医学の発達で変化(へんげ)しやすくなって、人間さまには感謝しているよ。

おれがもっと強くなったら、たぶん生き残る確立が高いのは金持ちだと思うけど。
生き残った金持ちは、知識や権威、成長がどれだけ人間にとって無能なものか知ることになるよ。
おれは、悪いやつだと思われているけど、実はね、人間が本当に生きると言うことをわかってほしいんだな。

写真は、イテウォンで屋台を引く男。韓国の屋台は歩道で商売できるように、非常にシステマチックに出来ています。そして韓国の工事現場や市場では、重いものや大きいものを一人で運んでいる人々をよく見かけます。そういう光景を見ていると生きる意味と言うものについて考えさせられます。

2009年5月10日日曜日

21世紀の娯楽

世界的な恐慌によるアメリカ型の消費社会・資本主義社会の終焉。
豊かな暮らしを夢見ながら成長するという希望の時代は終わり、人々には不安が広がる。
昨今の食品安全性不安、核拡散、新型インフルエンザなどの社会不安。不安。不安。

こんな時代に人は何をすべきなのであろうか?

クリエイターの高城剛は、こう言った。
「これから、本当の21世紀が始まる。本当のヤバい時代が始まる。もう後戻りはできない」
「21世紀最大の娯楽は"哲学"になる」と。(honeyee.comサイトより)

自分もそう思う。彼はそのことを10年前から気づいていたと言っていたが、自分は4年ぐらい前に気づき、資本主義社会がもたらしたコントラストの高い都市の風景写真(EGOisticTOKYO)を撮り始めることにした。そして、現在に至り、韓国の都市の写真(DEOREO-UN-GEORI)を通して、人間って何だろう、本当の人間の生き方って何だろうと"プチ哲学"をしている。

写真は、買い物客や外国人居住者の多い街イテウォンの西の玄関口ノクサピョン駅。

2009年5月9日土曜日

換気獣(ゾウさんタイプ)

写真とは関係ないが、
韓国で仕事していて一番イヤだなと思うときは、
クライアントのトップに良いアイディアを説明したあとに、
そのトップが、そのアイディア、私も考えていたんですよ、
と言われた時。
このようなことが、よくあります。
とにかく、韓国社会は、スノッブ的ですね!

いろんな街で、いろんなタイプの換気獣を探して見つけることで、そんなストレスを解消している私。

2009年5月8日金曜日

太平(テピョン)の路地風景


地下鉄ブンダン線太平(テピョン)駅東側にある庶民的な街の路地風景です。
東西にのびるスリバチ状の地形の谷筋にメイン道路があり、その北側は住宅地、南側は商店街となっている。(上の写真は住宅地、下の写真は商店街の路地)
太平(テピョン)は坂道の街なんで風景に変化があり、散策していてとても面白いです。
また、路地が坂道となってる日本の戸越銀座に近いイメージがあり、親近感を感じます。

2009年5月5日火曜日

韓国人女流写真家との出会い

教会関係で写真家「土田ヒロミ」さんと付き合いのある韓国人女流写真家と会うことができて、彼女から写真の撮り方の助言を頂いた。
頂いた言葉は「客観的になる」だった。
そして、その助言通りに写真を撮ろうとするのだが、何を撮っていいのか分からなくなってしまう。
今まで自己流で撮ってきた私にとって、プロの助言はきつかった。

最近そのことに悩んでいて、ふと昔撮っていた写真をもう一度見てみることにした。

写真は、東京都の大崎辺りで撮った写真(カメラはミノルタCLE)

昔フィルムで写真を撮っていた時のほうが「客観的」だったような気がする。もっと悩もう。。

2009年5月3日日曜日

韓国(旅行)ブーム

東大門を旅行中の中国人の団体さん。
この辺をぶらぶらしていると、中国人の今のファッションセンスを見ることができて面白い。

案内人の人は、「ここは、チョンゲチョンで、あっちに見えるのは東大門です。」と言ってたような。
普通にポンデギを料理しているおばちゃんと、それを嫌そうに見ているおばちゃんのギャップが印象的だった。

2009年5月2日土曜日

韓国の教会

仕事の現地調査で撮った一枚の写真。

高くそびえる十字架。
韓国民族の精神的シンボル。
西洋より密度の高い教会の数。

日本人から見たら不思議な景色。

でも、外国人が日本でビルの上にある鳥居を見たら、不思議な景色と思うよな。
コレハ 、ニホン ノ シュウキョウ、シセツ、デスカ?
シュウカイジョ ワ ナイ ノデスカ?