2009年4月28日火曜日

韓国にキリスト教徒が多い理由

苦難の歴史を歩んだユダヤ・イスラエルの民は、神の前に過ちばかりを繰り返した。しかし神は、その民を「神の民」すなわち「選民」として選んだ。同じように外国の侵略ばかり受け続けて来た苦難の民。韓国人・韓民族を神が選ばれた。
つまり、「ユダヤ・イスラエルの民」と「韓国人・韓民族」を同列化し、両者の共通点を「苦難」に見出し、その上で「神が選んだ」と言う回答である。
常石希望『韓国における初期キリスト教受容の要因』
 
毎週教会に通っているが、国を奪われ続けてきた韓国人の強い民族意識を感じることが多々ある。

2009年4月27日月曜日

韓国(旅行)ブーム

円高ウォン安で身近な存在となってしまった韓国。ミョンドンに行くと日本人と中国人の観光客が大勢いる。ソウル市では移動式案内所(街中案内人)もはじめて観光産業を盛り上げようとしている。
BBクリームなどの化粧品、韓流アイドル関連商品、コピー商品のブランドバック、美容に良いとされる韓国料理。。。
んで、男性は何を楽しめばいいのかな?
キーセン体験村とかあったら、いいのかな?

2009年4月22日水曜日

新カメ購入

帰国の際に新カメ購入。GRD→GRDⅡへ。

故いかりや長介さん?の銅像。
だめだこりゃ。。
つぎ、いってみようぅ。。

2009年4月18日土曜日

本当に使える武器

使えそうで使えない武器を使うのにもう飽きてしまったよ。
使えそうで使えない武器を振り回せば、そんときだけ問題が解決されて、また同じ問題がおきてしまう。これじゃあ、疲れちゃうよ。
本当につかえる武器ってなんだろうね。

世の中も使えそうで使えない武器で回っている。
使えそうで使えない武器を振り回せば、そんときだけ問題が解決されて、また同じ問題がおきてしまうよね。これじゃあ、みんな疲れちゃう。

なんでみんなは本当の武器を探さないんだ。
本当の自分の心が覗かれてしまうのが、そんなに嫌なのか。

本当の心を覗かれないために、今日もみんな使えそうで使えない武器を振り回している。

写真は十字架 対 電柱 の戦いではなくて、話をしているお二人さん。
こんな会話が聞こえてきました。

十字架:電柱さん、この辺一体は貧しい人ばっかり住んでいて寄付金が少ないんです~
電柱:まあ、しょうがないよ。俺もこの辺の開発でさ、移動命令が出ちゃってさあ~
今後の人生について今考えているんだよ。
十字架:そうなの。お互い大変ですね。え!ってことは、わたしも移動?ですか。
二人:は~。人間ってさあ~。まったく。おかしいよね。
電柱:うぉ!人間がカメラ向けて、こっち見てるぞ!あちゃ、聞こえちゃったかな。。。。?
十字架:聞こえちゃっても大丈夫よ。人間は罪人ですから、わたしがなんとかしなくちゃね。

本当に使える武器とは、宗教やイデオロギーを超えた“人間の価値を固定化しない謙虚な心”だと思います。お互いに裸になることです。付いているもの、考えていること、人間は、みんな同じだと気づく筈でしょう。そしてその後に、武器がいらなくなるでしょう。

2009年4月17日金曜日

ケンチク系の人の話が面白くない

彼らは、カッコイイ、発想が新しい、空間が心地いい などなど、人が感動し人間性が感じられる空間づくりをしていると自負している。
しかし、そうであろうか。
新しいものに出会う感動は良いものであるが、人間の性として必ず厭きがくるだろう。
私は、そんなものに関心がなく、心も動かない。
私は、新しいものの隣で一生懸命誠実に働いている脇役の方々に関心がある。
脇役があってこそ、主役が生きれるのだ。
脇役がいなければ、主役は存在しないのだ。

だから、私は街のなかで脇役が暮らす場所の写真を撮っているのだ。
主役をファインダーに治めても面白い写真は撮れない。撮れたとしても、主役のためのPR写真になってしまうだけだ。そして、そこには、ノイズがない。
脇役を撮ると、人間の現実の問題がファインダーの中に入ってくる。
そして、そこには、ノイズがあり、見る人に問題提起を起こさせるのだ。


写真は死に行く市場の姿を見守る番人

2009年4月16日木曜日

路地裏の特等席

ソウルの街中の商店街の裏路地に入ると、必ずあるものがある。
それは、椅子やソファーなどだ。
たぶん、飲食店の厨房で働く人が、座ってタバコを吸ったりジュースを飲んだりするためにおいてあるのだと思う。

商店街の裏路地は、臭く汚い環境であるが彼らにとっては、短い休息時間を楽しむオアシス的な空間であるのだろう。

(椅子が幼児用であることと、壊れているのがちょっと微笑ましい。。大人がオコチャマ座りしてタバコ吸ったりしてんのかな?)

2009年4月14日火曜日

鉄のまち永登浦(ヨンドンポ)

永登浦(ヨンドンポ)は鉄の街で、駅の北西部に小さな町工場が犇きあっている場所がある。製造しているのは、鉄板、鉄の棒の製造がメインだ。
私は、この場所で、鉄を切る音、鉄を運ぶ音、鉄が落ちる音、鉄が溶ける音、それらの重くて乾いた“音楽”を聴きながら、かつての鉄の街「埼玉県川口市」の過去を想像しながら歩いているのに気づいた。川口市の過去を私は具体的に見たり聞いたりしたことはないが、生活中心主義に都市化された川口の市街地の中で、ひっそりと営業している小さな鉄工所の姿を見たことがあるので、そのような感覚が思い浮かんできたのだと思う。
そして、私は、ソウル遊歩の目的が、遠く消え去った過去の日本の姿を見つめることであることを実感した。

かつて東京や大阪などの大都市が経験した、生産中心主義の都市から生活中心主義の都市へ変貌するダイナミズムを〈いま〉ココで感じることができるソウルが面白い。

2009年4月12日日曜日

永登浦(ヨンドンポ)中央市場

今日は、ソウルの南西部にある繁華街永登浦(ヨンドンポ)を散歩。
散歩の目的は、以前見に行った駅前の工事現場(複合商業施設“タイムズ・スクエアー”、2008年6月に投稿)が今どうなっているか確認するため。
ぶらぶらしていたら、市場を発見。
その市場の名前は永登浦(ヨンドンポ)中央市場。

私は、活気のあるメインストリートから外れて、床がぬれ、ひと気が無く、連続する丸い灯りの看板が印象的な場所に迷い込んだ。

2009年4月11日土曜日

日向ぼっこ

屋根の上は気持ちいいな~。

モップで壁を掃除するのを終えて休憩している室外機くん。
おい、まだ壁は汚いまんまだよ!?

2009年4月9日木曜日

市場の照明

ソウルの古い市場の通路照明には、車道用の巨大な照明が使われていることが多い。なぜ、車道用照明が使われているのか分からないが、たぶん市場を作った当時に適切な照明がなかったのか、もしくは廃品を利用しているのかもしれない。
狭い通路に巨大な照明。なにか照明に見られているような、心を覗かれているような怪しい魅力を感じてしまう。

2009年4月8日水曜日

ノイズの残像

街にはさまざまな〈からだ〉がある。なんでもない〈からだ〉はなんて面白いんだろう。一方、街から〈ノイズ〉が排除される傾向はより強まっており、無意識のうちに社会はノイジーな〈もの〉や〈こと〉を嫌悪する。街の〈からだ〉が本来持っているであろう魅力が嫌悪(=排除、差別)の対象になったらこれほど気味の悪いものもない。排除される〈ノイズ〉を擁護し、ノイジーな〈からだ〉の魅力を擁護するとき、表現に価する、またべつの演劇の〈からだ〉が生まれるかもしれない。そのための想像力を求めて。これは演劇の話ではない。演劇を通じて、〈いま〉について考える。宮沢章夫

写真は、これから死を迎える太平(テピョン)駅近くの市場。
街の死(開発)には、葬式がなく、いとも簡単に記憶を消し去り、モノをガラクタに変えてしまう。
〈いま〉ココには人々の残像だけがノイズとして残り、静かに死を待っている。

2009年4月6日月曜日

ミョンドンの換気獣

ミョンドンでデート中の若い換気獣カップルを発見。
ファッションの街ミョンドンだけあって、換気獣もセンスがいいね。
狭い窓から二人で顔を出して、ラブラブだね。

(発見したときは、生き物感が強くて怖かった…撮影者感想)

2009年4月5日日曜日

換気獣

ウルトラセブンに出たキングジョーに似ているな、この怪獣。
ウィキで調べてみたら、キングジョーの体は分離することができるようだから、たぶんこの怪獣はキングジョーだ。

2009年4月4日土曜日

欲張りな電気メーター

そんなにイッパイ配線食べて計測できるの、あんた。 消化不良おこすぞ~

2009年4月1日水曜日

オレンジ

住宅地の一角で、オレンジ看板交差点を発見。
看板は不動産屋さんの看板ですが、ここまでやるかってな感じです。
(フォトショでちょっとオレンジが目立つように加工しちゃっているが、印象風景的にはこんな感じに見えました。)