2009年4月17日金曜日

ケンチク系の人の話が面白くない

彼らは、カッコイイ、発想が新しい、空間が心地いい などなど、人が感動し人間性が感じられる空間づくりをしていると自負している。
しかし、そうであろうか。
新しいものに出会う感動は良いものであるが、人間の性として必ず厭きがくるだろう。
私は、そんなものに関心がなく、心も動かない。
私は、新しいものの隣で一生懸命誠実に働いている脇役の方々に関心がある。
脇役があってこそ、主役が生きれるのだ。
脇役がいなければ、主役は存在しないのだ。

だから、私は街のなかで脇役が暮らす場所の写真を撮っているのだ。
主役をファインダーに治めても面白い写真は撮れない。撮れたとしても、主役のためのPR写真になってしまうだけだ。そして、そこには、ノイズがない。
脇役を撮ると、人間の現実の問題がファインダーの中に入ってくる。
そして、そこには、ノイズがあり、見る人に問題提起を起こさせるのだ。


写真は死に行く市場の姿を見守る番人

2 件のコメント:

  1. 死に行く市場なのに生を感じてしまいます。。番人かっこよすぎます!
    このお店が東京にあったら役所がすっ飛んで来て
    営業停止か建て替え命令が下るでしょうね(笑)

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  2. sylvian さんコメントありがとうございます。
    ソウル市内には、今にも壊れそうな、壊れているのに営業している建物が沢山あり面白いです。そんな建物、地震があったらたぶん一発でオジャンです。

    番人さん(実際は番人ではないかも)は、これから新しい建物が建設されると言ってました。

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