苦難の歴史を歩んだユダヤ・イスラエルの民は、神の前に過ちばかりを繰り返した。しかし神は、その民を「神の民」すなわち「選民」として選んだ。同じように外国の侵略ばかり受け続けて来た苦難の民。韓国人・韓民族を神が選ばれた。つまり、「ユダヤ・イスラエルの民」と「韓国人・韓民族」を同列化し、両者の共通点を「苦難」に見出し、その上で「神が選んだ」と言う回答である。
常石希望『韓国における初期キリスト教受容の要因』
毎週教会に通っているが、国を奪われ続けてきた韓国人の強い民族意識を感じることが多々ある。
使えそうで使えない武器を使うのにもう飽きてしまったよ。
彼らは、カッコイイ、発想が新しい、空間が心地いい などなど、人が感動し人間性が感じられる空間づくりをしていると自負している。
永登浦(ヨンドンポ)は鉄の街で、駅の北西部に小さな町工場が犇きあっている場所がある。製造しているのは、鉄板、鉄の棒の製造がメインだ。
街にはさまざまな〈からだ〉がある。なんでもない〈からだ〉はなんて面白いんだろう。一方、街から〈ノイズ〉が排除される傾向はより強まっており、無意識のうちに社会はノイジーな〈もの〉や〈こと〉を嫌悪する。街の〈からだ〉が本来持っているであろう魅力が嫌悪(=排除、差別)の対象になったらこれほど気味の悪いものもない。排除される〈ノイズ〉を擁護し、ノイジーな〈からだ〉の魅力を擁護するとき、表現に価する、またべつの演劇の〈からだ〉が生まれるかもしれない。そのための想像力を求めて。これは演劇の話ではない。演劇を通じて、〈いま〉について考える。宮沢章夫