2008年9月26日金曜日

「絶対矛盾的自己同一」デジカメの違和感

一眼レフには、ファインダーを覗くと、焦点を合わせる丸いマークがついており、写真を撮るときは、ココの起点(主体)とソコの終点(客体)が一本の線で結ばれる。また、身体、特に頭の動きとカメラが連動していて、人間の注意が対象を見るため、感覚的であり、視覚的であり、撮影行為が主観的となる。(主体と客体が一体化している)
一方、液晶画面を見て写真を撮るデジカメは、頭の動きとカメラが連動していなく、液晶画面全体の映像が注意の対象となり、ココの起点(主体)とソコの終点(客体)が一直線で結ばれない。そして、感覚的要素が希薄となり、撮影行為がやや客観的となる。(主体と客体が一体化してない)
この二つ感覚の違いは、たとえば会社の社内で社員に挨拶をしないが、外部にでるとなぜか社員にお辞儀をしてしまう感覚に似ているかもしれない。

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