2009年6月1日月曜日

「反電子主義の美学」

感覚はすべて、やがて電子の明減に置換される。そのとき、世界を支配するのはこれまで経験したこともない冷徹(COOL)に違いない。人間は、自分自身を語ることを止め、自分自身が生み出したものについて語ることで自足する。そしてつまり、人間は自分自身を生きることを止め、自分自身が生み出したものが生きることによってその欲望を満たす。わたしたちは、そうした傾向の加速から、身をひくことができないでいる。そればかりか、数多くの言説は、より強力にそこへと誘惑する。機械が文字通り機械だった時代、その本性を包み隠すために流線型が一時期成功したことを考えれば、私たちは現在、電子情報テクノロジーの流線型とも言うべき時期を経験しているのかもしれない。わたしたちは、その美学に眼を奪われている。「反電子主義の美学」杉田敦

「自身が生み出したものについて語ることで自足する」とは、ブログだと私は思う。確かに、それが生きること(繋がる)によって欲望を満たしている。
「電子情報テクノロジーの流線型」とは、ミクシーに代表されるSNSだと私は思う。確かに、現代人はその美学に眼を奪われている。

しかし、その美学は、デリートボタン一つで簡単に消すことができる。

「反電子主義の美学」。この本は、ある人との出会いで見つけた本だ。
出会いから生まれる発見ほど素晴らしいものはないと私は思う。
「検索」「SNS」などからの出会いも良いが、素晴らしいと思わない。

それは、その出会いがデリートボタン一つで簡単に消すことができるからだ。

追記
「電子情報テクノロジーの流線型」、空間認識を粗視化し、映像に対するノイズや問題意識を無くしてしまったコンピュータグラフィックもありましたね。

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