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2009年6月1日月曜日

「反電子主義の美学」

感覚はすべて、やがて電子の明減に置換される。そのとき、世界を支配するのはこれまで経験したこともない冷徹(COOL)に違いない。人間は、自分自身を語ることを止め、自分自身が生み出したものについて語ることで自足する。そしてつまり、人間は自分自身を生きることを止め、自分自身が生み出したものが生きることによってその欲望を満たす。わたしたちは、そうした傾向の加速から、身をひくことができないでいる。そればかりか、数多くの言説は、より強力にそこへと誘惑する。機械が文字通り機械だった時代、その本性を包み隠すために流線型が一時期成功したことを考えれば、私たちは現在、電子情報テクノロジーの流線型とも言うべき時期を経験しているのかもしれない。わたしたちは、その美学に眼を奪われている。「反電子主義の美学」杉田敦

「自身が生み出したものについて語ることで自足する」とは、ブログだと私は思う。確かに、それが生きること(繋がる)によって欲望を満たしている。
「電子情報テクノロジーの流線型」とは、ミクシーに代表されるSNSだと私は思う。確かに、現代人はその美学に眼を奪われている。

しかし、その美学は、デリートボタン一つで簡単に消すことができる。

「反電子主義の美学」。この本は、ある人との出会いで見つけた本だ。
出会いから生まれる発見ほど素晴らしいものはないと私は思う。
「検索」「SNS」などからの出会いも良いが、素晴らしいと思わない。

それは、その出会いがデリートボタン一つで簡単に消すことができるからだ。

追記
「電子情報テクノロジーの流線型」、空間認識を粗視化し、映像に対するノイズや問題意識を無くしてしまったコンピュータグラフィックもありましたね。

2009年5月30日土曜日

犬肉スープ専門店と古本屋


独立門駅近くにあるヨンチョン市場の脇道にあった犬肉スープ専門店(看板)と古本屋。
犬肉スープ専門店のあった脇道は1m程度の狭い道。暗くて怖い雰囲気だったが、普通に一般の女性が通っていてひと安心。考えすぎだった。
古本屋には、日本の本もチラホラあって意外だった。
いつも感じるが、韓国の市場の脇道は意外性があり面白い。

2009年5月11日月曜日

ウィルスの生きる意味

おれの生きる意味は何だと思う?
それはパンデミックで人間に無能さを知らしめることだよ。
おれには、人間の持っている“さまざまな欲”というものをもっていない。
肉体も無く、脳も無く、まるで小さな機械だから、欲なんちゅうものは必要ないんだよ。
人間は成長、成長で生きているが、おれはただの変化(へんげ)で生きる。
しかしま~、人間は、成長、成長って言っているが、どんどん自分の首を絞めていることに気づいてないね。最近流行りのエコなんかも、結局商業主義化され、ものの買い替え需要を増加させているだけ。
成長、成長で世の中がスピード化・グローバル化され、自分が生きる世界を短時間で広められるようにしてくれて、医学の発達で変化(へんげ)しやすくなって、人間さまには感謝しているよ。

おれがもっと強くなったら、たぶん生き残る確立が高いのは金持ちだと思うけど。
生き残った金持ちは、知識や権威、成長がどれだけ人間にとって無能なものか知ることになるよ。
おれは、悪いやつだと思われているけど、実はね、人間が本当に生きると言うことをわかってほしいんだな。

写真は、イテウォンで屋台を引く男。韓国の屋台は歩道で商売できるように、非常にシステマチックに出来ています。そして韓国の工事現場や市場では、重いものや大きいものを一人で運んでいる人々をよく見かけます。そういう光景を見ていると生きる意味と言うものについて考えさせられます。

2009年5月3日日曜日

韓国(旅行)ブーム

東大門を旅行中の中国人の団体さん。
この辺をぶらぶらしていると、中国人の今のファッションセンスを見ることができて面白い。

案内人の人は、「ここは、チョンゲチョンで、あっちに見えるのは東大門です。」と言ってたような。
普通にポンデギを料理しているおばちゃんと、それを嫌そうに見ているおばちゃんのギャップが印象的だった。

2009年4月27日月曜日

韓国(旅行)ブーム

円高ウォン安で身近な存在となってしまった韓国。ミョンドンに行くと日本人と中国人の観光客が大勢いる。ソウル市では移動式案内所(街中案内人)もはじめて観光産業を盛り上げようとしている。
BBクリームなどの化粧品、韓流アイドル関連商品、コピー商品のブランドバック、美容に良いとされる韓国料理。。。
んで、男性は何を楽しめばいいのかな?
キーセン体験村とかあったら、いいのかな?

2009年4月17日金曜日

ケンチク系の人の話が面白くない

彼らは、カッコイイ、発想が新しい、空間が心地いい などなど、人が感動し人間性が感じられる空間づくりをしていると自負している。
しかし、そうであろうか。
新しいものに出会う感動は良いものであるが、人間の性として必ず厭きがくるだろう。
私は、そんなものに関心がなく、心も動かない。
私は、新しいものの隣で一生懸命誠実に働いている脇役の方々に関心がある。
脇役があってこそ、主役が生きれるのだ。
脇役がいなければ、主役は存在しないのだ。

だから、私は街のなかで脇役が暮らす場所の写真を撮っているのだ。
主役をファインダーに治めても面白い写真は撮れない。撮れたとしても、主役のためのPR写真になってしまうだけだ。そして、そこには、ノイズがない。
脇役を撮ると、人間の現実の問題がファインダーの中に入ってくる。
そして、そこには、ノイズがあり、見る人に問題提起を起こさせるのだ。


写真は死に行く市場の姿を見守る番人

2009年4月12日日曜日

永登浦(ヨンドンポ)中央市場

今日は、ソウルの南西部にある繁華街永登浦(ヨンドンポ)を散歩。
散歩の目的は、以前見に行った駅前の工事現場(複合商業施設“タイムズ・スクエアー”、2008年6月に投稿)が今どうなっているか確認するため。
ぶらぶらしていたら、市場を発見。
その市場の名前は永登浦(ヨンドンポ)中央市場。

私は、活気のあるメインストリートから外れて、床がぬれ、ひと気が無く、連続する丸い灯りの看板が印象的な場所に迷い込んだ。

2009年4月8日水曜日

ノイズの残像

街にはさまざまな〈からだ〉がある。なんでもない〈からだ〉はなんて面白いんだろう。一方、街から〈ノイズ〉が排除される傾向はより強まっており、無意識のうちに社会はノイジーな〈もの〉や〈こと〉を嫌悪する。街の〈からだ〉が本来持っているであろう魅力が嫌悪(=排除、差別)の対象になったらこれほど気味の悪いものもない。排除される〈ノイズ〉を擁護し、ノイジーな〈からだ〉の魅力を擁護するとき、表現に価する、またべつの演劇の〈からだ〉が生まれるかもしれない。そのための想像力を求めて。これは演劇の話ではない。演劇を通じて、〈いま〉について考える。宮沢章夫

写真は、これから死を迎える太平(テピョン)駅近くの市場。
街の死(開発)には、葬式がなく、いとも簡単に記憶を消し去り、モノをガラクタに変えてしまう。
〈いま〉ココには人々の残像だけがノイズとして残り、静かに死を待っている。

2009年2月19日木曜日

清涼里駅近くの犬肉市場

犬肉(ケゴギ)の看板が並んでいる。
今回は、犬のモモ肉を売っているところ見てしまった。
食文化の違いとは言え、“ちょっと~”てな感じです。

2009年2月16日月曜日

清涼里駅



清涼里駅西には広大な市場(京東市場)が広がっていて、近代的な市場、スラムのような古い市場、犬肉市場、野菜残飯市場などいろいろな市場があって面白い。
 
清涼里駅は現在、リニュアール工事をしており、巨大な駅ビルに変わろうとしている。
しかし、現地では、反対意見が多いようだ。
今週、土曜日に現地に行ったところ、おじさんが“なんで、あまり人がいない所なのに、何でこんな巨大な建物を建てる必要があるのか。イ・ミョンバク大統領は何を考えているのか”と怒っていた。
私はその言葉を聴いて、たぶん、国民がイ・ミョンバク大統領のワンマン経営に行き詰まりを感じているのだろうと思った。
 
写真は、スラムのような市場の写真と地下駐車場の通路にも店があった写真。

2009年2月11日水曜日

人って何?

 ネット社会では、テクストだけで、壁を越えることのできないコミュニケーション。
本当は何を考えているか分からない不気味な“足跡”と“共感するキーワード”をだけでコミュニケーションするSNS。ネット・コミュニティーは、多種多様で雑多なリゾームが増殖するだけで、その中では、私と言う記号でしか存在しない。
 そして、私たちはコミュニケーションのための『記号』になっていく。

 消費社会では、新しい発想のモノがどんどん作られ、毎日、毎日が新しいモノのコマーシャルの嵐で、人はどこまでいっても完全に欲求が満たされなくなり。
企業は先を越されまいとして必死にグローバル化し、どっかの国が、不況になれば、たちまち雇用調整だ。
 そして、私たちは消費社会のための『道具』になっていく。

 都市社会では、新しい美術館・博物館・歴史資料館が建ち、感性を磨くはずの芸術・文化・歴史が「欲望の消費」になり、祭はどこでも“よさこいソーラン節”。新しい発想は無く、既存の発想の再解釈のみで、巨大な組織によって意図的に“作られた空間(テーマパークなど)”が増殖。
 そして私たち、作られた空間のための『人形』になっていく。

 なんでこんなに落ち着かない社会になってしまったのだろうか?この閉塞感は何なんだろうか?この先どうなるんだろうか?

 話はちと変わるが今私が住んでいる韓国はもっと深刻だ。
現在、高速道路と街路のデザインの仕事をしているが、今日私の心に衝撃が走った。
高速道路を作るは、インフラとしてしかたがない場合があるが、その沿道地域のニュータウン計画がひどすぎる。
 内容はこうだ。
 某韓国2番目の海洋都市の市街地化された場所にニュータウンが計画されている。そこは海に近く地域のシンボルとなっている緑豊かな山があり、その山腹に慎ましく普通の人々が生活を営んでいる。山腹であるため眺めもよく、坂道と狭い道が交錯し、日本の尾道のような場所となっている。そこに住んでいる人々は、条件の悪い斜面の土地を買い、子供を生み・育て、将来の豊かな生活を望んで一生懸命働いている。しかし、その場所一体が、ニュータウン計画によりリッチマンのための街になってしまうのだ。今住んでいる人々は立ち退きを命じられ、安い慰謝料を貰い、新天地を見つける必要があるのだ。
 これは、排除される側から見れば単なる暴力ではないか。愛した土地、愛した風景、愛した近所の人々がばらばらになり、緑豊かな山も高層マンションで見られたもんじゃない景観になってしまうのだ。韓国の経済活性化を最良とする都市づくりにもはやコメントする意味がない。自分が今までソウルで見てきたニュータウン計画地がすべてこうであったら非常に悲しい。
 
 写真は、地下鉄2号線舎堂(サダン)駅近くの市場。消費社会はこの程度が丁度良いと、この頃感じています。家族、会話、人ごみ、散歩、生活に必要なものだけの商品。韓国には市場がまだいっぱい残っています。市場にいると幸せを感じます。

2009年2月6日金曜日

大蛇の親子

蛇さん。化粧室へは、左へ回って直進してくださいね。

2009年2月2日月曜日

千戸市場2

曲がった道、朽ち果てた建物、土や石の匂い、市場の活気、人々の流れ、
豊かさを求めて賢明に働く市場の人々。

豊かになって、ひとりひとりが無気力になってきている現代。
みんなぼっちの“な~な~社会”。

韓国の市場で、人込みから外れて、ふと太陽の光に包まれた気持ちいい景色に出会うと何か心がほっとする。

2009年2月1日日曜日

千戸市場

ロッテワールドのあるジャムシルから地下鉄8号線で3個目の駅、千戸駅近くにある千戸市場。
ここの市場は、比較的清潔感のある市場であった。物置場と化した店舗もなく、売られているものも新鮮。
近くに現代百貨店やEマート、ショッピングモールがあり立地条件がよいからなのだろうか。


2008年10月29日水曜日

市場のハタラキモノ達(시장)

可楽市場(garak market)で仕事の出番を待つハタラキモノ達。日本の市場では、ターレットと言う名前の可愛らしいハタラキモノが大活躍しているが、韓国ではリヤカーです。

2008年10月27日月曜日

犬肉(개고기)市場

今日は、ソウル市北東部の地下鉄6号線月谷(Wolgok)駅付近を散歩。歩道を歩いていたら、いきなり歩道がトンネルになっていて入ってみたら誰もいない市場だった。天井に吊ってある看板を見たら犬肉(ケコギ)と書いてあったので犬肉(ケコギ)市場らしい。自分はまだ1回しか犬肉を食べたことがない。犬肉は、生きた犬をよく叩くと美味しいらしいです。

2008年10月13日月曜日

韓国の市場はガラクタ小屋その2

人通りの多い場所の様子の写真。一見きれいだが、90度振り返ると、店の奥の棚は、ゴミ棚。

2008年10月12日日曜日

韓国の市場はガラクタ小屋


 普通、日本人なら“市場”と聞いたら、威勢のいいおじさんが「安いよ~!新鮮だよ~!」という言葉が飛び交う賑やかな風景が目に浮かんでくると思う。また、韓国に来た経験のある人なら、南大門や東大門で安いものが模造さに並べられ、圧倒されたことを思い出すと思う。
 しかし、私が何箇所か行ったソウルの市場は様子が違っていた。人通りの多い場所は賑やかで良いのだが、一歩中に入ると不思議な光景を目にすることができる。
整理するとこうだ。
 ・建物は老化したバラック小屋の集合体。
 ・内部の通路は迷宮のような細い路地。
 ・ゴミの物置場と化している空き店舗が多い。
 ・人通りは少ないが、色々な日用品が販売されている。
 ・店員が店の奥で寝ている。寝ているのは老人が多い。
 ・いろんなものの片付けがなされていなく、清潔感がない。
 ・売っているものが新鮮なのかわからない。
 ・設備が古く、埃、油が堆積していて黒い。

 生き生きした印象が一切なく、半分死にかけたような、時代に取り残されたような空間、でも、それらのノイズが私を陶酔させ、次の市場探しをはじめてしまうのだ。
 住民はひとしなみに、“流民”であり、棟割長屋も、“作業用の仮小屋”にすぎないはずだ。実はこの点にこそ、スラム化現象をめぐる今日的な回答が隠されている。……仮小屋ならきれいにする必要もなく、広くする必要もないが、やがて人々はそこからの脱却が不可能なことを思いしらされるようになった。紀田順一郎『東京の下層社会』

 写真は犬の市場で有名なモラン市場から東側へ行った新興駅近くの市場の写真。

2008年9月27日土曜日

Moraenae市場

今日は、ドラマ:コーヒー・プリンスの舞台となった喫茶店のある若者の街、弘益(ホンイク)大学前に行くついでに、ちょっと近く(近くと言っても歩いて30分)にあるMoraenae市場によってみた。
この市場は、市内のどこの市場と同じように通りをちょっと外れると空き店舗が多かったが、活気があり、あまり臭くもなく、怪しくなく、今まで見たソウル市内の市場の中で一番印象が良かった。そして、市場のおばちゃんとささやかな会話もでき、実家(農家)の小屋の土の匂いに似た懐かしい匂いと終戦下の闇市のような風景に魅了されてしまった。
たぶん、そのまま映画のロケ地なんかに使えるんじゃないかな~。