2010年12月29日水曜日
2010年12月26日日曜日
2010年11月1日月曜日
人影の無い街の人影の無いベランダの影
2010年9月30日木曜日
2010年9月26日日曜日
2010年8月6日金曜日
2010年5月29日土曜日
心と光
ソウル市内で開催中のTokujin-Yoshioka展“SPECTRUM”に行って来ました。視線は常にものごと(環境)への理解を求めている。
その理解を求める感覚が科学と芸術を創り出した。
科学は現視覚から生まれ、芸術は擬視覚から生まれた。
プリズムを私たちは科学を通して理解しているが、プリズムの芸術的表現を通して、現視覚と擬視覚が出会い、心と光が出会った。
そんなことを考えさせられました。
私たちの視線を線型に直進するものとみなせば、対象物の視覚像は並行する視線の束によって、対象物(像)が接触をうけて産み出された状態だと言えよう。これに対して、想像的な対象物のイメージ(像)は、視覚の束が対象物(像)に接触するのではなくて、対象のあらゆる場所にまったく等価に透過して産み出された擬視覚像にあたっている。『ハイ・イメージ論』吉本隆明
2010年5月26日水曜日
2010年5月17日月曜日
2010年5月12日水曜日
2010年5月9日日曜日
2010年4月26日月曜日
2010年4月25日日曜日
奉元寺探訪
2010年4月20日火曜日
言葉とイメージ

言葉は思考を支配してしまう。
山、川、風など。現象をあらわす言葉を、まったく違った表現で言えないだろうか?
言葉でなく、見たまんま、感じたままで表現できないだろうか?
表現できるとしたら、その言葉(声)は感覚と現象が素直にリンクしている赤ちゃんの発する言葉に近いであろう。しかし、やろうとしても、なかなか難しい。でも、思ってもいなかった想像や発想を膨らますことができる。たとえば、川であったら、水の流れる音とはどんなものがあるか想像するとミジミジミジ、ミジョミジョミジョ、ピチピチピチ、ビチャ、ビチョン。川は感じたままで言うとミジミジと言う言葉がいいなとか、だから、水はミズなのか~とか。
では、自分が好きな写真はどうか?
たとえば、抽象的な写真は、名付けえない、なにものかであってなにものでもない言葉にならないイメージを伝えることができる。見た人が感じたまんま感じた世界を感じることができる面白さを味わうことができる。その未知なる可能性が面白いのだ。
言葉も写真を見る感覚と同じように、別の方向で再考すると新しい可能性が生まれるかもしれない。
2010年3月28日日曜日
2010年3月15日月曜日
2010年2月22日月曜日
2010年2月6日土曜日
2010年2月1日月曜日
2009年11月23日月曜日
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