2009年4月8日水曜日

ノイズの残像

街にはさまざまな〈からだ〉がある。なんでもない〈からだ〉はなんて面白いんだろう。一方、街から〈ノイズ〉が排除される傾向はより強まっており、無意識のうちに社会はノイジーな〈もの〉や〈こと〉を嫌悪する。街の〈からだ〉が本来持っているであろう魅力が嫌悪(=排除、差別)の対象になったらこれほど気味の悪いものもない。排除される〈ノイズ〉を擁護し、ノイジーな〈からだ〉の魅力を擁護するとき、表現に価する、またべつの演劇の〈からだ〉が生まれるかもしれない。そのための想像力を求めて。これは演劇の話ではない。演劇を通じて、〈いま〉について考える。宮沢章夫

写真は、これから死を迎える太平(テピョン)駅近くの市場。
街の死(開発)には、葬式がなく、いとも簡単に記憶を消し去り、モノをガラクタに変えてしまう。
〈いま〉ココには人々の残像だけがノイズとして残り、静かに死を待っている。

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