2008年12月31日水曜日
2008年12月29日月曜日
2008年12月28日日曜日
2008年12月27日土曜日
街路(가로)
街路とは、この遊歩者を遥か遠くに消え去った時間へと連れて行く。遊歩者にとってはどんな街路も急な下り坂なのだ。この坂は彼を下へ下へと連れていく。母たちのところというわけではなくとも、ある過去へと連れて行く。この過去は、それが彼自身の個人的なそれでないだけにいっそう魅惑的なものとなりうる。にもかかわらず、この過去はつねにある幼年時代の時間のままである。それがしかし、彼自身が生きた人生の幼年時代の時間である必要がどうしてあろうか?アスファルトの上を彼が歩くとその足音が驚くべき反響を引き起こす。タイルの上に降り注ぐガス灯の光りは、この二重になった地面の上に不可解な[両義的な]光りを投げかけるのだ。ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論』
2008年12月25日木曜日
居酒屋街(선술집거리)
2008年12月21日日曜日
韓国の発明品?(발명품)
2008年12月20日土曜日
2008年12月15日月曜日
蟻の村(개미의 마을)
以前(2008年6月8日)日記に書いた場所が何であるかわからなかったのだが、週末ネットサーフィンをしていてその答えを見つけた。
答えは、毎日蟻のように働くしかない低賃金労働者が身を寄せ合って住んでいる「蟻の村」だそうだ。
大きな地図で見る
答えは、毎日蟻のように働くしかない低賃金労働者が身を寄せ合って住んでいる「蟻の村」だそうだ。
大きな地図で見る
なつかしい風景(그리운 풍경)
ソウルの繁華街明洞の南側にある住宅地の夜景。繁華街に近い場所であるが、ソウルのシンボルである南山(ナムサン)の山腹に位置し、南山の景観保全のため高い建物がなく、静かでひっそりとした住宅地となっている。
しかし現在、この素晴らしい場所が消滅の危機に瀕している。それは、ソウル市中区と住民が不動産価値を高めるため、高い建物を建てようと都市計画の変更を進めているからだ。
地元の人に聞くと、この風景はとても懐かしく心が温かくなる風景であると言っていた。そして、自分もそう思った。
将来、韓国らしさや安堵感などがない、いわゆる「お洒落な」風景に変わってしまうのだ。
自分は、外国に来たり住んだりして一番楽しいと思うのは、本当のその場所らしさを心で感じたときだ。「場所のアイデンティティ」とは、場所に対する経験・イメージ・意図が重なりあって生まれる。
ソウルは急激な都市化によってどんどん“なつかしい風景”が無くなっている。
しかし現在、この素晴らしい場所が消滅の危機に瀕している。それは、ソウル市中区と住民が不動産価値を高めるため、高い建物を建てようと都市計画の変更を進めているからだ。
地元の人に聞くと、この風景はとても懐かしく心が温かくなる風景であると言っていた。そして、自分もそう思った。
将来、韓国らしさや安堵感などがない、いわゆる「お洒落な」風景に変わってしまうのだ。
自分は、外国に来たり住んだりして一番楽しいと思うのは、本当のその場所らしさを心で感じたときだ。「場所のアイデンティティ」とは、場所に対する経験・イメージ・意図が重なりあって生まれる。
ソウルは急激な都市化によってどんどん“なつかしい風景”が無くなっている。
2008年12月9日火曜日
2008年12月7日日曜日
連日の零下(영하)
ソウルは連日の零下で、外に10分もいられない状態が続いている。この状態で趣味の写真ができないので、ユニクロのヒートテックを購入するために、ミョンドンにあるロッテデパートまで行った。
買い物を終え、街をぶらぶらしていると、再開発地区を発見。場所はソウル中区。高さ148m、階数32階、21C Digital Park Viewと言うビルが建つようだ。
いつもそうだが、ソウルの都心の再開発の街づくりテーマは、どこも“Digital”が付く。産業に結びついたネーミングだ。そして、今これから流行っていこうとしている街づくりテーマは、“ユビキタス U-City”。他に良いネーミング考えられんのかな~といつも思う。
買い物を終え、街をぶらぶらしていると、再開発地区を発見。場所はソウル中区。高さ148m、階数32階、21C Digital Park Viewと言うビルが建つようだ。
いつもそうだが、ソウルの都心の再開発の街づくりテーマは、どこも“Digital”が付く。産業に結びついたネーミングだ。そして、今これから流行っていこうとしている街づくりテーマは、“ユビキタス U-City”。他に良いネーミング考えられんのかな~といつも思う。
2008年12月3日水曜日
2008年12月2日火曜日
デーリム・アーケードの友達(친구)
先日写真をアップしたデーリム・アーケードの2階テラスで生活している子犬。ワンワン鳴いては、私の足元と素敵なハウスを行ったり来たり。その落ち着きのなさが可愛かった。
そうこうしているうちに、韓国人男性が、あなたはここで何をしていますかと聞いてきた。
自分:趣味で写真を撮っているんですよ。この汚い素晴らしい風景が好きなんです。
韓国人:そうなんですか。あなたはどこからきました。
自分:東京からです。
韓国人:私は前、新宿で働いていました。
自分:そうですか。一緒にタバコでも吸いましょう。
………
私を人があまりいない変な場所でふらふらしている不審者だと思って、その韓国人は私に話しかけてきたのだろう。
いつも思うが、韓国人(一般人)は日本人にやさしい。日本人があまり行かないマイナーな市場や工事現場でも、日本人であることを話すと好意的に話をしてくれる。
そうこうしているうちに、韓国人男性が、あなたはここで何をしていますかと聞いてきた。
自分:趣味で写真を撮っているんですよ。この汚い素晴らしい風景が好きなんです。
韓国人:そうなんですか。あなたはどこからきました。
自分:東京からです。
韓国人:私は前、新宿で働いていました。
自分:そうですか。一緒にタバコでも吸いましょう。
………
私を人があまりいない変な場所でふらふらしている不審者だと思って、その韓国人は私に話しかけてきたのだろう。
いつも思うが、韓国人(一般人)は日本人にやさしい。日本人があまり行かないマイナーな市場や工事現場でも、日本人であることを話すと好意的に話をしてくれる。
2008年11月29日土曜日
2008年11月27日木曜日
2008年11月18日火曜日
『モダン・マルクス主義のシンクロニシティ』
マルクス主義のマの字も知らない私が、今非常に難しい本を読んでいる。ヴァルター・ベンヤミンのテキストにただ興味があって買った本なのだが。読んでいるうちに、いろんな人々、いろんな考えが書いてありチンプンカンプン。必ず自分の考えのヒントとなるものがあると信じて少しずつ読んで理解しようと努力している。
さて、この本に読み疲れて、ふとあとがきを読んでみたら、自分が今感じていることと同じことが書いてあって非常にびっくりした。
巨大な閉鎖空間の中に店舗をつくるやり方は、現在の日本のショッピングモールの空間に転用されている気がする。たとえば、お台場、あるいは横浜みなとみらい、南大沢、六本木ヒルズ、表参道ヒルズなど。しかし、日本のイベント的ショッピングモール空間は、資本主義のまがまがしさ度を越しており、巨大化した空間は安堵感などもうちょうがない。むしろ、画一さと大掛かりな装置となってわれわれを苛立たせる。そこで19世紀の人びとが夢見たようにまどろむことができるのであろうか。菅本康之『モダン・マルクス主義のシンクロニシティ』
映画、カメラ、電話、自動車、飛行機、工場、一気に新しいものが生まれた19世紀。現在はどうか、過去の遺産のデジタル化、効率化だけでなにも変わっていない。たぶん未来は19世紀に出し切ったのだと思う。だから今、私は19世紀の人びとが夢見たようにまどろむことができる何かを発見することが本当の未来だと考えている。
さて、この本に読み疲れて、ふとあとがきを読んでみたら、自分が今感じていることと同じことが書いてあって非常にびっくりした。
巨大な閉鎖空間の中に店舗をつくるやり方は、現在の日本のショッピングモールの空間に転用されている気がする。たとえば、お台場、あるいは横浜みなとみらい、南大沢、六本木ヒルズ、表参道ヒルズなど。しかし、日本のイベント的ショッピングモール空間は、資本主義のまがまがしさ度を越しており、巨大化した空間は安堵感などもうちょうがない。むしろ、画一さと大掛かりな装置となってわれわれを苛立たせる。そこで19世紀の人びとが夢見たようにまどろむことができるのであろうか。菅本康之『モダン・マルクス主義のシンクロニシティ』
映画、カメラ、電話、自動車、飛行機、工場、一気に新しいものが生まれた19世紀。現在はどうか、過去の遺産のデジタル化、効率化だけでなにも変わっていない。たぶん未来は19世紀に出し切ったのだと思う。だから今、私は19世紀の人びとが夢見たようにまどろむことができる何かを発見することが本当の未来だと考えている。
2008年11月17日月曜日
東大門のファッションビル
東大門市場に新しいファッションビルが完成した。このビルの近辺にはすでに同様なビルが何棟も建っていて、どのビルも若者向けの服、かばん、靴、家電、携帯など売っていて印象はみな同じだ。
韓国の社員にこの新しいビルのことについて聞いて見ると閑古鳥が鳴いているビルだそうだ。
近くにあるビルと同じコンセプトで新しい店を作っても客が来ないのは当たり前である。
韓国は、なにかが流行れば、わっと同じものを作ってしまうコピペ文化が特徴なのかもしれない。
東大門や明洞のファッションビルに行くと、“ブランド品ありますよ”とよく日本語で声を掛けられる。自分は“偽物を売る前に本物を作ったら”と心に思いながら、笑顔でその前を通りすぎる。
韓国の社員にこの新しいビルのことについて聞いて見ると閑古鳥が鳴いているビルだそうだ。
近くにあるビルと同じコンセプトで新しい店を作っても客が来ないのは当たり前である。
韓国は、なにかが流行れば、わっと同じものを作ってしまうコピペ文化が特徴なのかもしれない。
東大門や明洞のファッションビルに行くと、“ブランド品ありますよ”とよく日本語で声を掛けられる。自分は“偽物を売る前に本物を作ったら”と心に思いながら、笑顔でその前を通りすぎる。
2008年11月15日土曜日
デーリム・アーケード
チョンゲチョンの南側の一部は小さな工場が犇き合う町工場地帯となっている。金属を切ったり削ったりする金きり音、オイルの匂い、山積みされた鉄板、ネジ、歯車、小部屋のような小さな建物の中で働く人々。綺麗に整備されたチョンゲチョンとは対照的な様相を示している。
都心部にこのような場所が残っているのはソウルの魅力かもしれないが、近い将来郊外に移転され、この場所は再開発によりその魅力が無くなってしまう。
かつてのチョンゲチョンもそうであった。川の上を通っていた高架橋の下は市場となっていて活気があり泥臭いイメージがあったと記憶している。
都心部にこのような場所が残っているのはソウルの魅力かもしれないが、近い将来郊外に移転され、この場所は再開発によりその魅力が無くなってしまう。
かつてのチョンゲチョンもそうであった。川の上を通っていた高架橋の下は市場となっていて活気があり泥臭いイメージがあったと記憶している。
わたしはチョンゲチョンが嫌いである。あそこには水が流れているのではなく、人の汗が流れているから。
2008年11月13日木曜日
迷宮の時代
2008年11月10日月曜日
2008年11月7日金曜日
2008年11月5日水曜日
2008年11月4日火曜日
韓国の発明品5(발명품)
2008年11月2日日曜日
韓国の発明品4(발명품)
韓国の発明品1(발명품)
2008年11月1日土曜日
今日の夢(꿈)
私は、とあるソウル市北西部郊外の美川(ミチョン)と言う街に引っ越してきた。引っ越した家はアパートではなく、なぜか大部屋のある大きな家。
さて、引越しが終わった時間が丁度夕食の始まる時間だったので、大部屋では、夕食の支度が始まっていた。支度をしている人々は中国語を喋っていた、彼らはたぶん中国の朝鮮族の人々なんだろう。
夕食が終わり、大部屋では知人もなくみんな韓国人なので人見知り状態だった私は自分の部屋に戻り眠りについた。
……(自分は超高層マンションの最上階に近い階に住んでいた。そこからの風景は、このマンションと同じ高さの建物しか見えなく、つめたく、さびしい風景だった。下を見たがあまりにも視点が高いのでめまいがした)……
ふと起きてみたら。自分の布団の脇で、1人おばちゃんが布団もかけずに寝ていた。びっくりした私は大声を上げてしまい、その声でおばちゃんは起きてしましった。
「あ~ 寒い、寒い、ちょっと布団の中に入れて~」
と言って、おばちゃんは私の布団の中に入ってきた。
「あれ、日本語喋れるんだ」
「あ、わたし。ん、私は日本人でね、小さいとき朝鮮戦争のどたばたで孤児になり、ここで働いているんだよ」
そして、少しの会話を楽しんでいると。
「チンチャ、チュプタ(ほんと、さむいね~)」
言って、他の韓国人も布団の中に入ってきた。
ここの住民は、なんかみんな人懐っこい人々だ。
そうこうしているうちに、部屋の脇の廊下がなにやら賑やかになってきた。
私の部屋のドアの前を、カラフルで土着的な民族衣装を着た人々が、私に挨拶しながら通りすぎていく。
「さあ~さあ、君達早く準備しないと~」と彼らは言っていた。
そして、私は、民族衣装を着た人々の一行の後ろに着いていった。
細い路地を通りかかったとき、さっきのおばちゃんが話かけてきた。
「美川(ミチョン)って、風の成る風車(かざぐるま)の街で有名な場所なんですよ。」
「あ~。どっかのポスターで見ましたよ。小さな風車が町中に散りばめられているあの街ですね。」
そのような会話をしながら、彼らは大きな商店街の中に入っていった。終わり
夢から覚めて思ったのだが、夢で見た家はアジールだったのだろう。彼ら住民は、貧困、争い、人間関係など、なにか事情があって、ひとつの大きな家で共同生活をしているようだった。しかし、独特な民族衣装を着て興行の準備をしている彼らの姿は、生き生きしており、人間味のある温かい感性を持っていた。 そして、夢の中の人間味のある温かさと、その中の夢のつめたく、さびしい風景とのハイコントラストが非常に印象的だった。
写真は九老(グロ)工業団地で働く人々のためのアパート。たぶん。。
さて、引越しが終わった時間が丁度夕食の始まる時間だったので、大部屋では、夕食の支度が始まっていた。支度をしている人々は中国語を喋っていた、彼らはたぶん中国の朝鮮族の人々なんだろう。
夕食が終わり、大部屋では知人もなくみんな韓国人なので人見知り状態だった私は自分の部屋に戻り眠りについた。
……(自分は超高層マンションの最上階に近い階に住んでいた。そこからの風景は、このマンションと同じ高さの建物しか見えなく、つめたく、さびしい風景だった。下を見たがあまりにも視点が高いのでめまいがした)……
ふと起きてみたら。自分の布団の脇で、1人おばちゃんが布団もかけずに寝ていた。びっくりした私は大声を上げてしまい、その声でおばちゃんは起きてしましった。
「あ~ 寒い、寒い、ちょっと布団の中に入れて~」
と言って、おばちゃんは私の布団の中に入ってきた。
「あれ、日本語喋れるんだ」
「あ、わたし。ん、私は日本人でね、小さいとき朝鮮戦争のどたばたで孤児になり、ここで働いているんだよ」
そして、少しの会話を楽しんでいると。
「チンチャ、チュプタ(ほんと、さむいね~)」
言って、他の韓国人も布団の中に入ってきた。
ここの住民は、なんかみんな人懐っこい人々だ。
そうこうしているうちに、部屋の脇の廊下がなにやら賑やかになってきた。
私の部屋のドアの前を、カラフルで土着的な民族衣装を着た人々が、私に挨拶しながら通りすぎていく。
「さあ~さあ、君達早く準備しないと~」と彼らは言っていた。
そして、私は、民族衣装を着た人々の一行の後ろに着いていった。
細い路地を通りかかったとき、さっきのおばちゃんが話かけてきた。
「美川(ミチョン)って、風の成る風車(かざぐるま)の街で有名な場所なんですよ。」
「あ~。どっかのポスターで見ましたよ。小さな風車が町中に散りばめられているあの街ですね。」
そのような会話をしながら、彼らは大きな商店街の中に入っていった。終わり
夢から覚めて思ったのだが、夢で見た家はアジールだったのだろう。彼ら住民は、貧困、争い、人間関係など、なにか事情があって、ひとつの大きな家で共同生活をしているようだった。しかし、独特な民族衣装を着て興行の準備をしている彼らの姿は、生き生きしており、人間味のある温かい感性を持っていた。 そして、夢の中の人間味のある温かさと、その中の夢のつめたく、さびしい風景とのハイコントラストが非常に印象的だった。
写真は九老(グロ)工業団地で働く人々のためのアパート。たぶん。。
2008年10月29日水曜日
捩れた心(마음)
2008年10月28日火曜日
2008年10月27日月曜日
犬肉(개고기)市場
2008年10月24日金曜日
2008年10月23日木曜日
2008年10月21日火曜日
2008年10月18日土曜日
磁場
登録:
投稿 (Atom)