なぜ人間は、飽きずにテクノロジーや機械に魅了されているのか。
あるものを創造する方向を示しているのか。
それはロボットか。
それは、おのれ自身の機能拡張した存在か。
足である車は私の一部になった。眼であるカメラも私の一部になった。
心であるコンピュータは今絶えず私と対話し、私の一部になろうとしている。
最後に残ったもの。
それは、それらを創った手だ。
そして、“手である何々は、、、、、私の一部”と考えたとき。
何か心の中に気持ち悪い感覚が生じた。
猿を人間にしたもの。それは、足でもなく、眼でもなく、脳でもなく、常に目の前に存在しているこの手だ。手は私の一部になった車、カメラ、コンピュータを操作する。
手が何かで私の一部になるとき、それは私の一部になった完全なロボットが完成したときかもしれない。
そのとき、私の存在価値はどうなるのだろうか。
何か心の中に気持ち悪い感覚が生じた。
これ、すごく、メカっぽくて、アニメーションに出てきそうなものですね。こういうの結構好きです。
返信削除ところで、これはなんですか?
t. ichikawa さんコメントありがとうございます。
返信削除航空専門学校前の歩道にあったジェット機の心臓です。
精密機械に心が魅了される気持ちって何なんでしょうね?
今読んでいる杉田敦さんの「反電子主義の美学」が読み終わったら、「メカノ 美学の機械、科学の機械」でも読んで探求したいと思います。