宗教を、人としての生き方つまり人間学として捉えるならば、信じて良いのだが、一番の壁は“神が存在すると言うこと”だ。洗礼を受けたクリスチャンは、神の存在を感じると言うが、目に見えないものをどうやって信じることができるのだろうか?神は愛。しかし、人間の愛には限界がある。だからあえて神を信じなくてはならないのか?
なぜ人間は、飽きずにテクノロジーや機械に魅了されているのか。
感覚はすべて、やがて電子の明減に置換される。そのとき、世界を支配するのはこれまで経験したこともない冷徹(COOL)に違いない。人間は、自分自身を語ることを止め、自分自身が生み出したものについて語ることで自足する。そしてつまり、人間は自分自身を生きることを止め、自分自身が生み出したものが生きることによってその欲望を満たす。わたしたちは、そうした傾向の加速から、身をひくことができないでいる。そればかりか、数多くの言説は、より強力にそこへと誘惑する。機械が文字通り機械だった時代、その本性を包み隠すために流線型が一時期成功したことを考えれば、私たちは現在、電子情報テクノロジーの流線型とも言うべき時期を経験しているのかもしれない。わたしたちは、その美学に眼を奪われている。「反電子主義の美学」杉田敦