今日は、釜山広域市にて仕事の打ち合わせ。
写真は市庁舎喫煙室からの眺望。 低層建物のゴチャゴチャ感が面白い。
今回もカラフルなタルトンネを見に行く時間がなく、残念。
最近、仕事が忙し過ぎる。
2009年1月31日土曜日
2009年1月28日水曜日
大丸有
2009年1月23日金曜日
ニュータウン開発の事故
2009年1月19日月曜日
2009年1月18日日曜日
東ソウルバスターミナルの亀さん
2009年1月15日木曜日
2009年1月14日水曜日
韓国のニュータウン開発
2009年1月13日火曜日
釜山駅のハタラキモノ
2009年1月9日金曜日
『ネット社会』とファシズム
ネット社会において、ちょっと前は、浅生太郎は神、今は田母神が神。
容易に凄い人を神と呼んでしまう日本のネット社会。
あるネット政治番組では、田母神さんを“閣下”と呼んでいた。
あまりにも幼稚ではないかな。
20世紀初頭に現れた芸術運動『イタリア未来派』。
それは、「少なくとも3つの特質をファシズムと共有していた」。
すなわち、“社会における機械(機械技術)のロマンテックで無知な賛美、敵対者に対する物理的暴力の行使、若さに対する陶酔である。”
これを今のネット社会に置き換えると、
“ネット社会におけるインターネットのロマンテックで無知な賛美、ネットの敵対者に対する暴力的発言の行使、若さに対する陶酔である。”
『イタリア未来派』は、物理的で見える力を有しているのに対して、ネット社会はそうではない。
たぶん、今の幼稚なネット社会では、『イタリア未来派』に見られるような暴力的ファシズムの萌芽はないだろう。
容易に凄い人を神と呼んでしまう日本のネット社会。
あるネット政治番組では、田母神さんを“閣下”と呼んでいた。
あまりにも幼稚ではないかな。
20世紀初頭に現れた芸術運動『イタリア未来派』。
それは、「少なくとも3つの特質をファシズムと共有していた」。
すなわち、“社会における機械(機械技術)のロマンテックで無知な賛美、敵対者に対する物理的暴力の行使、若さに対する陶酔である。”
これを今のネット社会に置き換えると、
“ネット社会におけるインターネットのロマンテックで無知な賛美、ネットの敵対者に対する暴力的発言の行使、若さに対する陶酔である。”
『イタリア未来派』は、物理的で見える力を有しているのに対して、ネット社会はそうではない。
たぶん、今の幼稚なネット社会では、『イタリア未来派』に見られるような暴力的ファシズムの萌芽はないだろう。
2009年1月8日木曜日
2009年1月7日水曜日
韓国のキリスト教(昨年のまとめ)
自分は週1回教会に通っている。それは、韓国社会に早く溶け込むためと、教会が、仕事、情報交換、友人、家族、恋人、勉強、遊びなどあらゆる面での社交場的側面を持っているからだ。
以前は日本人牧師さんのいる教会に通っていたが、現在は日本語の話せる韓国人牧師さんのいる教会に変えて通っている。変えた理由は、韓国社会でこれほど多くの人が、キリスト教徒になった理由を直接韓国人から聞いて勉強したほうが本質的な回答が得られると考えたからである。
自分は良い宗教であれば信じていいと思っているが、韓国のキリスト教は、独特の雰囲気があり、なかなか馴染めない部分が多く、布教活動について批判的な感情すら持っている。(お世話になっている牧師さん、すいません。私は答えを探しているのです。)
批判的な感情とは、韓国最大級の某教会(統一教会ではないです)の日本での布教活動だ。
さいたまスーパーアリーナで行われた某教会の布教イベント『韓流フェスティバル~ラブ・ソナタ東京~』を例にあげるならば、イベントタイトルにある“韓流”、“フェスティバル”、“ソナタ”これらの言葉は商業主義的言語であり、日本人の熱烈な韓流イメージに対する陶酔を利用して、布教を行使しているとしか思えないのである。
……ゆっくり時間をかけて、韓国人牧師さんと議論していきたい。
(写真は、埼玉アリーナではなく、昨年自分が参加した某教会の30周年記念イベント会場の写真)
以前は日本人牧師さんのいる教会に通っていたが、現在は日本語の話せる韓国人牧師さんのいる教会に変えて通っている。変えた理由は、韓国社会でこれほど多くの人が、キリスト教徒になった理由を直接韓国人から聞いて勉強したほうが本質的な回答が得られると考えたからである。
自分は良い宗教であれば信じていいと思っているが、韓国のキリスト教は、独特の雰囲気があり、なかなか馴染めない部分が多く、布教活動について批判的な感情すら持っている。(お世話になっている牧師さん、すいません。私は答えを探しているのです。)
批判的な感情とは、韓国最大級の某教会(統一教会ではないです)の日本での布教活動だ。
さいたまスーパーアリーナで行われた某教会の布教イベント『韓流フェスティバル~ラブ・ソナタ東京~』を例にあげるならば、イベントタイトルにある“韓流”、“フェスティバル”、“ソナタ”これらの言葉は商業主義的言語であり、日本人の熱烈な韓流イメージに対する陶酔を利用して、布教を行使しているとしか思えないのである。
……ゆっくり時間をかけて、韓国人牧師さんと議論していきたい。
(写真は、埼玉アリーナではなく、昨年自分が参加した某教会の30周年記念イベント会場の写真)
2009年1月4日日曜日
韓国の村歩き(昨年のまとめ)
韓国を歩いていて一番ショックだったのは、月の街(달동네)や蟻の村(개미마을)、九龍村(구룡마을)など、様々な事情で貧しい人々が集まって住む街があったことだ。漢江の奇跡(한강의 기적)と言われた韓国の高度成長の裏側に、この様な痛ましい現状があることを知って、人間の愚かさ、悲しさ、寂しさを感じた。
そして、このようなことを韓国の人に聞いても、貧困街の話にはあまり関心を示さなく、月の街(달동네)は仁川市水道局タルトンネ博物館など、一種の観光資源として取り扱われているのも悲しい現状である。
思うに貧困の問題は、そのまま差別の問題であり、他者への想像力の欠如の問題なのではないだろうか。それは単純に、差別的な境遇に置かれた人々が貧困に陥っているというようなことではなしに、貧困という事態が、多くの人に見えてない(関心がない)というところに、より本質的な差別があるということを意味している。紀田順一郎『東京の下層社会』
そして、このようなことを韓国の人に聞いても、貧困街の話にはあまり関心を示さなく、月の街(달동네)は仁川市水道局タルトンネ博物館など、一種の観光資源として取り扱われているのも悲しい現状である。
思うに貧困の問題は、そのまま差別の問題であり、他者への想像力の欠如の問題なのではないだろうか。それは単純に、差別的な境遇に置かれた人々が貧困に陥っているというようなことではなしに、貧困という事態が、多くの人に見えてない(関心がない)というところに、より本質的な差別があるということを意味している。紀田順一郎『東京の下層社会』
2009年1月3日土曜日
韓国の街歩き(昨年のまとめ)
2009年1月1日木曜日
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