自分で考え、自分で判断しなくちゃいけない。でも、自分は万能でなく、神でもない。
何かにこの不安を委ねないと生きていけない。
自己責任の名のもとに、社会秩序が崩れ、社会と心が砂漠化する。
どこまで行っても砂漠、砂漠、砂漠。変化の無い風景。
人々は、砂漠が波紋をつくるように、風だけに流されて生きている。
私は消費都市のノイズ、ガラクタの写真を撮り、その刺激に不安な心を委ね、心の自然を取り戻している。

神の言葉は、人間が生きていくために欠くことのできない現実的な条件のほかに、より高次な生の意味が存在していることをほのめかしたのではない。実は、逆に、人間が生きるためにぜひとも必要な条件が、奪うことのできないものであることを認めたのである。つまり、悪魔の問いがよって立っている根拠をくつがえしたのではなく、かえって、それがくつがえしえない強固な条件であることを認めたのである。吉本隆明、長原豊『現代思想』
先日の日曜日、あるプロテスタントの30周年のイベントに参加してきた。
自転車の魅力は、あの軽快な回転運動にある。足の筋肉でペダルをこぐと、その動力がタイヤを回し、回転が移動に変換され、心地よい風と風景の変化を楽しむことができる。