2008年9月14日日曜日

会津人

韓国人と仕事をしていると、彼らとの間には大きな壁があることがわかる。
それは、“イルボンサラム ナップンサラム(日本人悪い人)”ということ。
彼らとの会話で、豊臣秀吉、伊藤博文、日韓併合、私たちの祖先が韓国に対してきたことの話になると、私は彼らに御免なさいとしか言えない。それ以上話したらたぶん喧嘩になる。
親や親戚が殺された、この気持ちは、日本人には絶対わからないでしょうと彼らに言われたら、何も言えない。
しかし、形は違うが会津人である私は彼らと同じ気持ちを持っている。それは、幕末の戊辰戦争(会津戦争)での会津藩の敗北とその後の新政府による仕打ちの歴史だ。いまでも、薩摩・長州と言う言葉を聴くと、少々憤りを感じる。

ここで、憤りを“少々”と言った理由がある。
それは、歴史認識の考え方、伝え方を説明したかったからである。
私は会津藩や戦争後の会津人が新政府から受けた仕打ちについて、父からあまり具体的な話を聞いたことがない。自分の父は、たぶん、その時の歴史の流れ、時代の背景をよく理解し、自分の息子に未来志向的な歴史観を教育したかったのだと思う。
小さいときから、父から薩摩・長州は悪いんだと言われ続けてきたら、ここで、少々憤りを感じるとは言わなかったであろう。

写真は、カンナムのキョウボビル近くに建設中の未来志向的なデザインのビル。

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