2008年9月29日月曜日

マテリアリズム(물질주의)

…それなのに、スポーツ選手と同じ靴をはきたがる。感性そのものが、あるレベル以上に達しないと、感受性としてはたらきださないような状況を、洗練された感性などというであろうか。佐野衛『世紀末のオデュッセイア』

2008年9月27日土曜日

Moraenae市場

今日は、ドラマ:コーヒー・プリンスの舞台となった喫茶店のある若者の街、弘益(ホンイク)大学前に行くついでに、ちょっと近く(近くと言っても歩いて30分)にあるMoraenae市場によってみた。
この市場は、市内のどこの市場と同じように通りをちょっと外れると空き店舗が多かったが、活気があり、あまり臭くもなく、怪しくなく、今まで見たソウル市内の市場の中で一番印象が良かった。そして、市場のおばちゃんとささやかな会話もでき、実家(農家)の小屋の土の匂いに似た懐かしい匂いと終戦下の闇市のような風景に魅了されてしまった。
たぶん、そのまま映画のロケ地なんかに使えるんじゃないかな~。

2008年9月26日金曜日

「絶対矛盾的自己同一」デジカメの違和感

一眼レフには、ファインダーを覗くと、焦点を合わせる丸いマークがついており、写真を撮るときは、ココの起点(主体)とソコの終点(客体)が一本の線で結ばれる。また、身体、特に頭の動きとカメラが連動していて、人間の注意が対象を見るため、感覚的であり、視覚的であり、撮影行為が主観的となる。(主体と客体が一体化している)
一方、液晶画面を見て写真を撮るデジカメは、頭の動きとカメラが連動していなく、液晶画面全体の映像が注意の対象となり、ココの起点(主体)とソコの終点(客体)が一直線で結ばれない。そして、感覚的要素が希薄となり、撮影行為がやや客観的となる。(主体と客体が一体化してない)
この二つ感覚の違いは、たとえば会社の社内で社員に挨拶をしないが、外部にでるとなぜか社員にお辞儀をしてしまう感覚に似ているかもしれない。

2008年9月25日木曜日

人は私を商売人と呼ぶ(상인)

私には物を作る能力がない。
ただ物を右から左に流しているだけで生きている。
人は私を商売人と呼ぶ。
私は資本主義社会の上位に位置し、富の生産者であり消費者でもある。
私は、消費者に物を与えるが、
消費者は私に金を与え、私は世界の風景を変え、消費者を見下ろす。
そして私は、消費者が奴隷なのか神様なのかわからなくなる。
人は私を商売人と呼ぶ。

人は私を浮遊者と呼ぶ(플랑크톤)

私には動く能力がない。
ただ水に流されて生きている。
人は私を浮遊者と呼ぶ。
私は食物連鎖の下位に位置し、生産者であり消費者でもある。
私は、消費者に酸素を与えるが、
消費者は私に餌を与え、私は海の色を変え、消費者に瀕死を齎す。
そして私は、被害者なのか加害者なのかわからなくなる。
人は私を浮遊者と呼ぶ。

2008年9月22日月曜日

スラム市場(商店街)‐Oryu dong

韓国の高度成長期には栄えていたと思われる中心市街地の一角。日本の中心市街地はシャッター街が一般的であるが、韓国は違っていた。屋根は朽ち果て、空き店舗はゴミ置き場、2階は使用されていなく、人通りはほとんどない。店舗は細々と営業しているが店主は寝ていたりTVを見ていたりして商売っ気がほとんど見られない。
ソウルの市街地の市場では、賑やかな通りから一歩入るとこのような場所に出くわすことが多い。6月にブログでアップしたヨンドンポ(Yeongdeunpo)の近くの野菜市場は、市場の中心に野菜の売れ残り収集場があり、腐った匂いで3秒も居られなかった。


2008年9月17日水曜日

韓国人のトポフィリア

仕事が早く終わったときは、たまに会社の前の川(タンチョン炭川)でサイクリングを楽しむ。毎回思うのだが、河川敷にやたらと人が多い。一番多いのはウォーキングをする人。次にサイクリングをする人。ウォーキングをする人は、若い子から年寄りまで、年齢性別問わず歩いており、「蟻の熊野詣で」状態。サイクリングをする人はしっかりとサイクリングスーツを着込み、ヘルメットを着用し本格的だ。そして、河川敷もよく整備されている。2車線のサイクリングロード、ウォーキングロード、街路灯(夜も安全)、プール、トイレ、橋下の休憩所、軽スポーツ広場、そして自転車の部品を販売する露天。
自分の住んでいるブンダンは、ソウル中心部と比べ自然環境が豊かで、その環境のなかでリフレッシュする目的であることは理解できるが、なんでそこまで熱心で、健康志向が強いのかよくわからない。単なるブーム(well-beingブーム)なのか?国民性なのか?この場所に住んでいることのトポフィリア(場所愛)の表現なのか?
自分は、河川と言えば、何も考えないでボーとする場所なのだが。。。。

2008年9月16日火曜日

エゴ・スラム街(슬럼가)

韓国のお盆である秋夕(チュソク)では、韓国人は実家に帰省し、街のお店もほとんど閉まっているため、韓国に住む外国人は寂しい思いをする。そこで、今日は韓国生活でお世話になっている日本人の牧師さんのお誘いで秋夕を祝った。

秋夕の祝いの集合時間が遅くなった理由で、時間が空いたため、集合場所の開浦洞周辺をグーグルマップで覗いていたところ、スラム街のような怪しい場所を見つけてしまった。
早速行ってみた。
恐る恐るその場所に入ってみると、バラック小屋が密集しスラム街そのものであったが、何かを訴えている垂れ幕、玄関口にある警備室、周辺を監視するような少し高い建物に違和感を感じた。また、住民はいたって明るく、悲壮感が漂っていなかった。家に帰ってネットで調べたら理由がわかった。

ネット情報であるため、正確ではないが、以下のような場所のようだ。
『元々は再開発による土地補償金を狙って住所を偽装して転入した人々によって形成され始めたが、今日は韓国人よりは朝鮮族及び北朝鮮脱出朝鮮人がもっと多く、韓国の隠された社会的問題の地域である。この村には、1000世帯 2500名の住民が、無許可で居住し、弱者という権利を振りかざしてわがもので不法占拠している。』

2008年9月14日日曜日

会津人

韓国人と仕事をしていると、彼らとの間には大きな壁があることがわかる。
それは、“イルボンサラム ナップンサラム(日本人悪い人)”ということ。
彼らとの会話で、豊臣秀吉、伊藤博文、日韓併合、私たちの祖先が韓国に対してきたことの話になると、私は彼らに御免なさいとしか言えない。それ以上話したらたぶん喧嘩になる。
親や親戚が殺された、この気持ちは、日本人には絶対わからないでしょうと彼らに言われたら、何も言えない。
しかし、形は違うが会津人である私は彼らと同じ気持ちを持っている。それは、幕末の戊辰戦争(会津戦争)での会津藩の敗北とその後の新政府による仕打ちの歴史だ。いまでも、薩摩・長州と言う言葉を聴くと、少々憤りを感じる。

ここで、憤りを“少々”と言った理由がある。
それは、歴史認識の考え方、伝え方を説明したかったからである。
私は会津藩や戦争後の会津人が新政府から受けた仕打ちについて、父からあまり具体的な話を聞いたことがない。自分の父は、たぶん、その時の歴史の流れ、時代の背景をよく理解し、自分の息子に未来志向的な歴史観を教育したかったのだと思う。
小さいときから、父から薩摩・長州は悪いんだと言われ続けてきたら、ここで、少々憤りを感じるとは言わなかったであろう。

写真は、カンナムのキョウボビル近くに建設中の未来志向的なデザインのビル。

2008年9月12日金曜日

私の嫌いな言葉(예능과 종교)

あの有名人(芸能人)が信じているから私も信じてみようかな?あの有名人(芸能人)が使っているから、私も買おうかな?流行っているみたいよ!TVで宣伝してたから。。。。売り上げランキング1位!
韓国はキリスト教信者が多い。自分の職場にも多く、熱心な信者もいるし、軽いファッションな信者もいる。そして、盛んゆえに、芸能人を使用した布教活動も見られる。これでは、布教が「俗」と「俗」の関係で成り立つイベントでしかないのでは。

現代のわれわれが、職人の見事な腕前に「神技」を感ずるのと同様、このころの人々はそれ以上に、職能民の駆使する技術、その演ずる芸能、さらには呪術に、人ならぬものの力を見出し、職能民自身、自らの「芸能」の背後に神仏の力を感じとっていたに相違ない。それはまさしく、「聖」と「俗」との境界に働く力であり、自然の底知れぬ力を人間の社会に導き入れる懸け橋であった。網野善彦『中世の非人と遊女』

写真は、カンナムのビル群の裏通り。賑やかな「俗」なる表通りに対して、静かにビルが屹立する「聖」なる世界。

2008年9月8日月曜日

革命(혁명)

産業革命→重労働社会→階級闘争(人と人との小さな戦い)
民主革命と社会主義革命→大戦社会(国と国の大きな戦い)
情報革命→精神病社会、テロ社会(見えないもとの戦い)
革命後の社会がどんどん不気味なものへと変化しているこの世の中。
人が生きていくためには、食べるもの、生活できるもの、そして自由が最低限必要である。
食べるもの、生活できるものを勝ち取り、そして自由を勝ち取った私たちは、心を攻めあうエゴ社会へと向かっている。
次はどんな革命が起きるのだろうか?自由が人を増やし、資源を奪いあい。。。。原始時代のほうが、心が豊かであったのかもしれない。
写真は、ソウル市の西に位置する梧木橋(Omokgyo)という街に聳え立つビル。この街では空間を奪い合い、攻めあうように高いビルが建設されている。

2008年9月7日日曜日

63ビル



…もし意図して都市のなかに、こんな高次映像の場所をつくり出したいのなら、二つ以上の異質な世界視線がおなじ映像の枠組みのなかにおり重なってできている設計図をつくり出せばよいことになる。おなじように現在の都市でこういう場所を偶然に見つけたいなら、同じひとつの視野空間の枠組みのなかに、ふたつ以上の異なった世界視線を含む映像が重なった場所を探し出せばよいことになる。(吉本隆明『ハイ・イメージ論Ⅰ』)
写真は韓国のサンシャイン60?ヨイド島の63ビル。




2008年9月6日土曜日

鐘路タワー

人間は光ものに弱い。女性なら宝石、男ならシルバーアクセ、夜はカラオケのミラーボールといったところか。動物は、「きらきら光る水」「CDや光リボンなどのゆれる光」といった光に恐れる。

自分は小さいころ、夜電気を消して寝る前に指で軽く目を押して、目の中の暗闇で繰り広げられるオーロラのような光(iTunesと同じような映像)を楽しんで見ていた。真っ暗なのになぜ光が見えるか不思議であったが、その光をじっと見ていると非常に気持ちが落ち着く。

なぜ、生き物は光に弱いのだろうか?
目は光によって作られたから、その崇高さを感じるからなのか?火の光への恐れなのか?太陽の光が、あらゆる生命にとって必要なものだからなのか?はたまた、デジカメのスミアやブルーミング(過剰に発生した信号電荷が画素からあふれて隣接画素や信号線、転送用CCD素子などにあふれ出す)と同じようなことが起きているから、混乱するからなのか?粒子と波の二面性をもっているから?
これだけ科学が進歩した時代においても神秘“神のヒミツ”な存在だからか?

写真は、ソウルの中心部に立つ鐘路タワー。ここの最上階では、画素から信号電荷があふれない程度の美しい光の神秘の世界を堪能することができます。