2010年12月29日水曜日
2010年12月26日日曜日
2010年12月10日金曜日
2010年11月30日火曜日
“王様の椅子” 千戸(チョンホ)新市場2
“王様の椅子” 千戸(チョンホ)新市場1
食器屋さんの旦那椅子。重厚なイメージの座布団がいいです。椅子の下はお掃除セット。
穀物屋さんの御婦人椅子。生活感のある背景の小物類の雰囲気がいいですね。ヤカン、扇風機、カレンダー。。
2010年11月29日月曜日
2010年11月21日日曜日
王様の椅子
“私は日本人の写真家です、椅子を撮らせてください”と声をかけると、市場の店主は快く対応してくれました。
ソンホ市場は、古くからの市場であるので、店主のほとんどがオジちゃん、オバちゃん。写真を撮り終わって、その場を離れると、“日本人の写真家だってー”と近所の人に言いふらすオバちゃんや、ただ笑顔だけで、わかったよと言うオジちゃん、ここは紳士服を売ってないよと声をかけるオバちゃんなど、みなさんの反応は様々であったが、良い人ばっかりでした。市場で声をかけて写真を撮るのは初めての経験だったので、緊張していた気持ちが和みました。
さて王様の椅子は、近くに家具屋が多いこともあり、バリエーションが多い。
(別途アップした写真)革張り風の風格ある椅子は食品雑貨屋の旦那椅子、放射状の曲線が美しい木製背もたれの椅子は食品屋の御婦人椅子、学校椅子スタイルでチェック模様の座布団が可愛い椅子は食品屋の御婦人椅子、牛のマークと包丁が見える椅子は肉屋の御婦人椅子、シンプルなパイプ椅子は婦人服屋の御婦人椅子、男っぽい事務椅子は紳士服屋の旦那椅子。
そして、極めつけの椅子は、オバちゃんが映っているこの写真の椅子。お尻を暖めるホットマット、毛布、枕、TV。寝れる、TVを見れる、寒くない、これが本当の王様の椅子だと思った。
韓国の古い市場は、建物がバラック小屋で通路が迷路状になっていて闇市の面影が残っている。そして、道路に面した店舗は商品を歩道に並べ、人が一人歩くスペースしかない。など、日本の市場では見られない光景を見ることができ、とても面白い。いままで自分は、ただその面白い光景の部分だけを興味本位で写真を撮ってきた。今回の王様の椅子の撮影で、市場の店主と片言ではあるが会話をし、今まで見えなかった魅力を発見した気がした。
※台東区の佐竹商店街にて活動をなさっている笑点街さま、御感想よろしくお願いします。
2010年11月19日金曜日
2010年11月18日木曜日
なごみ
2010年11月15日月曜日
2010年11月10日水曜日
2010年11月8日月曜日
対話する椅子
2010年11月1日月曜日
人影の無い街の人影の無いベランダの影
2010年10月30日土曜日
Mannequin
2010年10月29日金曜日
2010年10月27日水曜日
2010年10月25日月曜日
2010年10月24日日曜日
2010年10月23日土曜日
2010年10月18日月曜日
金属門
2010年10月17日日曜日
放置された身体
2010年10月16日土曜日
2010年10月11日月曜日
野良-Alley cat
2010年10月10日日曜日
2010年10月6日水曜日
シンクロ二シティ F.D.ピート
宇宙は、ある創造的な展開行為によってささえ支えられています。ここには絶対的に固定された秩序はなく、それはつねに変化をつづけるコンテクストに対応することができます。あきらかに、創造性は自然のあらゆる要素に浸透しています。しかし、ほんとうにそうであるならば、なぜ創造性がわたしたち自身の生活において、もっとあらわにならないのでしょう?無限の創造性は、ふつう特別な贈り物、特異な、ただ芸術や科学の分野でときどき出現する天才にのみかかわりのあるものだと思われているばかりです。天才とは対照的にほとんどの人々は、自分にとっての創造性への能力はひどく限られたものだと感じています。かれらはその日その日の仕事や人間関係や家族のことなのですっかり気を取られているため、彼らには変化のためのエネルギーや余地がほとんどのこされていないのです。したがって、ある人の人生において実際に発揮される創造性は、ふつう境遇やさまざまな慣習、信念、社会からの制限によって規定される、かなり狭い範囲へと回路づけられてしまっています。シンクロ二シティ F.D.ピート
わたしは、立派な歴史遺産を見てもあまり感動しません。現在残る歴史遺産のほとんどは勝者の遺産です。芸術性を発揮した建築家、芸術家などの人々には敬意を払いますが、歴史遺産を建造するときに汗を流した、多くの涙を流した弱者や敗者の亡霊を想像してしまうからです。普通の観光客はそんな事を想像するでしょうか?ただ、奇麗、美しい、偉大だだけでしょう。多額の宣伝と多額の費用を使って、歴史的勝者の遺跡を見せて見るだけです。
いまの社会や教育のシステムは、すべて金に還元されています。よい学校にいって良い製品を作り、よい生活をする。より高価なもの、他にはない芸術性があるものを求めて人の欲望は突き進んでいきます。
ふつう人も便利さに乗じてインターネットショッピング。くだらない娯楽番組。お笑いタレントを見て、その日の鬱憤をはらし、ビールを飲む。
人へに対する多様性を潰す社会や教育のシステムによって今も勝者による社会が続いている。努力しない者が悪いと言う人がいますが、努力できない者にも本当は創造性があって、それを認め活かす社会システムがないのではないか。
だから、殺人、強盗、戦争などの不幸が生じる。世界的な代表的な不幸は、9.11事件だ。富めるキリスト教的国家(決してキリスト教を批判しているのではないです。キリスト教と資本主義が心臓の右心房と左心房の働きで現在の勝者の社会が形成されてきたこと)と貧しいイスラム教的国家(資本主義や金から金を生む利子を頑に批判する国家)。
わたしは、今、人間の想像性を発揮して、固定された秩序を変化させる時期にきていると思います。
2010年10月4日月曜日
2010年10月3日日曜日
2010年9月30日木曜日
2010年9月28日火曜日
室外機団地
2010年9月26日日曜日
タルトンネ体験
韓国のお盆にあたる秋夕(チュソク)に昔川崎市の文化センターで十数年働いていた韓国人と知り合いになることができた。
彼は油絵の先生で、現在韓国内で芸術活動を行いながら生活し、気さくな性格で、自由な精神の持ち主であるため、友人も多い。大学教授、写真家、美術家、舞踊家など様々だ。
私は彼の性格にひかれ、共にお酒も入ったことで、彼の家に泊まることになった。
彼の家は、ソウルの恵化(ヘファ)の北側の山麓地、山肌に無秩序に家が建ち並ぶいわゆるタルトンネ(月の町、貧民街)に位置し、なんと山の頂上に家があるため、ソウル市街地を一望できるのだ。(その家からの夜景、朝の清々しい眺望は格別だった)
以前から私はタルトンネの生活について関心を持っていたので、そこで貴重な経験をすることができた。
タルトンネといっても多少現代化されているものの、風呂はなく、炊事場にある小さなスペースで温水とタライで体を洗う、居間は4畳程度、押し入れもなく、天井の高さが低い、窓も必要最小限(たぶん冬の寒さ対策)。娯楽施設はTVとCDラジカセのみ。家の上には屋上があり、共同の物干場、家庭菜園、休息の場として利用されてる。
地理的に標高が一番高い場所にあるので、冬を除く季節はとても気持ちがよく、洪水の心配もない、湿気対策も不要、周りに幹線道路がないので静か、そして毎日最高の眺望、夜景、星空、月夜を楽しめる。家賃は日本円で格安の1万3千円。本当に月(タルトンネのタル)に近い天国のような家なのだ。
彼はこの天国で、現在のすべてが電子化された便利な高度資本主義生活をあざ笑うかのように楽しんで生活をしていた。
現在進行中の資本主義の一種の自壊現象がおきている中で、ちょっと不便なぐらいの生活が今後生きる現代人に求められている(商品化されてない本当のエコライフ)と考えている自分にとって、理想の家であると思った。