2009年2月24日火曜日

失われた未来

私は、この場所にずっと存在してきた。
しかし、私は、然るべき、場所の意味を失ってしまった。
私は、未来を主張しているが、儚くも、この場所は時間が止まってしまっている。
誰か、私に、気づいてくれ。
そして、私に、未来を与えてくれ。

写真は南山(ナムサン)山麓に通る道路の擁壁。
鉄筋が出ているから、何か作ろうとしていたんだろう。

2009年2月23日月曜日

アラ ラ。

ミョンドンを散歩中に見つけたロッテキャッスル(マンション)のポスター。
翻訳すると “南山(ナムサン)とロッテキャッスルが出会うと言うことは……New Age”

南山より高く、そしてナムサンタワーより高い、建物の大きさを誇張した表現。
 
“南山とロッテキャッスルが出会うと言うことは……自然景観破壊!?”

2009年2月20日金曜日

ガジェット

韓国の電気関係の機械装置(ガジェット)はカッコイイ。

2009年2月19日木曜日

清涼里駅近くの犬肉市場

犬肉(ケゴギ)の看板が並んでいる。
今回は、犬のモモ肉を売っているところ見てしまった。
食文化の違いとは言え、“ちょっと~”てな感じです。

2009年2月16日月曜日

清涼里駅



清涼里駅西には広大な市場(京東市場)が広がっていて、近代的な市場、スラムのような古い市場、犬肉市場、野菜残飯市場などいろいろな市場があって面白い。
 
清涼里駅は現在、リニュアール工事をしており、巨大な駅ビルに変わろうとしている。
しかし、現地では、反対意見が多いようだ。
今週、土曜日に現地に行ったところ、おじさんが“なんで、あまり人がいない所なのに、何でこんな巨大な建物を建てる必要があるのか。イ・ミョンバク大統領は何を考えているのか”と怒っていた。
私はその言葉を聴いて、たぶん、国民がイ・ミョンバク大統領のワンマン経営に行き詰まりを感じているのだろうと思った。
 
写真は、スラムのような市場の写真と地下駐車場の通路にも店があった写真。

2009年2月12日木曜日

メディアタワー

江南(カンナム)大路に出現した数十本の塔。なんだと思いますか?
メディアタワーと言う名前のITポールです。
ちょっと異様な風景ですが、この柱は、照明、LED演出照明、ホットスポット、監視、自分が作成したUCC(ユーザー・クリエイテッド・コンテンツ)のアップロード、他人のUCCの閲覧、ニュース配信などなど、様々な情報の表示や、やり取りができる柱のようです。
この世に、新しい街路景観の出現です。名づけてを“IT街路景観”
まだ工事中ですが、完成が楽しみです。
 
韓国のIT技術のスピードは世界1位かもしれない。です。

2009年2月11日水曜日

人って何?

 ネット社会では、テクストだけで、壁を越えることのできないコミュニケーション。
本当は何を考えているか分からない不気味な“足跡”と“共感するキーワード”をだけでコミュニケーションするSNS。ネット・コミュニティーは、多種多様で雑多なリゾームが増殖するだけで、その中では、私と言う記号でしか存在しない。
 そして、私たちはコミュニケーションのための『記号』になっていく。

 消費社会では、新しい発想のモノがどんどん作られ、毎日、毎日が新しいモノのコマーシャルの嵐で、人はどこまでいっても完全に欲求が満たされなくなり。
企業は先を越されまいとして必死にグローバル化し、どっかの国が、不況になれば、たちまち雇用調整だ。
 そして、私たちは消費社会のための『道具』になっていく。

 都市社会では、新しい美術館・博物館・歴史資料館が建ち、感性を磨くはずの芸術・文化・歴史が「欲望の消費」になり、祭はどこでも“よさこいソーラン節”。新しい発想は無く、既存の発想の再解釈のみで、巨大な組織によって意図的に“作られた空間(テーマパークなど)”が増殖。
 そして私たち、作られた空間のための『人形』になっていく。

 なんでこんなに落ち着かない社会になってしまったのだろうか?この閉塞感は何なんだろうか?この先どうなるんだろうか?

 話はちと変わるが今私が住んでいる韓国はもっと深刻だ。
現在、高速道路と街路のデザインの仕事をしているが、今日私の心に衝撃が走った。
高速道路を作るは、インフラとしてしかたがない場合があるが、その沿道地域のニュータウン計画がひどすぎる。
 内容はこうだ。
 某韓国2番目の海洋都市の市街地化された場所にニュータウンが計画されている。そこは海に近く地域のシンボルとなっている緑豊かな山があり、その山腹に慎ましく普通の人々が生活を営んでいる。山腹であるため眺めもよく、坂道と狭い道が交錯し、日本の尾道のような場所となっている。そこに住んでいる人々は、条件の悪い斜面の土地を買い、子供を生み・育て、将来の豊かな生活を望んで一生懸命働いている。しかし、その場所一体が、ニュータウン計画によりリッチマンのための街になってしまうのだ。今住んでいる人々は立ち退きを命じられ、安い慰謝料を貰い、新天地を見つける必要があるのだ。
 これは、排除される側から見れば単なる暴力ではないか。愛した土地、愛した風景、愛した近所の人々がばらばらになり、緑豊かな山も高層マンションで見られたもんじゃない景観になってしまうのだ。韓国の経済活性化を最良とする都市づくりにもはやコメントする意味がない。自分が今までソウルで見てきたニュータウン計画地がすべてこうであったら非常に悲しい。
 
 写真は、地下鉄2号線舎堂(サダン)駅近くの市場。消費社会はこの程度が丁度良いと、この頃感じています。家族、会話、人ごみ、散歩、生活に必要なものだけの商品。韓国には市場がまだいっぱい残っています。市場にいると幸せを感じます。

2009年2月9日月曜日

電柱型ロボット


頭からレーザー光線が3本出てますね~。誰と戦っているんでしょう?

2009年2月7日土曜日

会社の倉庫の彼女

韓国で働いている会社の倉庫に住んでいる彼女。
つぶらな瞳とキュートな赤いリボン。白いコートを羽織って立っている姿が好きになってしまいました。
カワイイ。。。

2009年2月6日金曜日

大蛇の親子

蛇さん。化粧室へは、左へ回って直進してくださいね。

2009年2月4日水曜日

触ったりできない感触のないただの冷たい空間

外的世界は、私たちの大脳が記録したり移し変えたりするだけで満足するような単なる与件ではなく、大脳自体によっても構築される。……そして、大脳はたえずその外的世界に図式を投影し、その図式が外的世界を意味化する。……私たちの知覚する現実は、外部からもたされる感覚と私たちの大脳から来る投影の間の共同適応による“偶然の産物”なのである。オギュスタン・ベルク『地球と存在の哲学 環境倫理を超えて』
ネット空間やパソコン空間は立体感がなく、空間がどうなっているかよくわからない。そして、それらの空間は興味を持ったら近づいたり、触ったりできない感触のないただの冷たい空間だ。また、その空間には心が存在していなく、本当の暖かい語りかけもない。
今の私たちの大脳は、客体(外的世界)でありながら私たちの主体(内的世界)の一部となってしまっているネット空間やパソコン空間に依存している。その空間は主体(内的世界)の一部であるがゆえに、自分の心が自由になり、自己表現の道具として使用してしまう。そして、本当の暖かさが感じられないこの小さな空間で小さな孤独が好きになってしまう。

2009年2月2日月曜日

千戸洞の置屋

千戸市場を探検してから、ちょっと西側に行ったところに、カーテンがかかっていて何の店だか分からない店が並んでいる場所があった。カーテンの隙間から覗くと床屋さんのようでもあるし、、、、あ、そういう場所かと思い、周りに人も居なく怖くなってそそくさとこの場所から出てしまった。
ネットで調べたら、やっぱり置屋だった。

千戸市場2

曲がった道、朽ち果てた建物、土や石の匂い、市場の活気、人々の流れ、
豊かさを求めて賢明に働く市場の人々。

豊かになって、ひとりひとりが無気力になってきている現代。
みんなぼっちの“な~な~社会”。

韓国の市場で、人込みから外れて、ふと太陽の光に包まれた気持ちいい景色に出会うと何か心がほっとする。

2009年2月1日日曜日

千戸市場

ロッテワールドのあるジャムシルから地下鉄8号線で3個目の駅、千戸駅近くにある千戸市場。
ここの市場は、比較的清潔感のある市場であった。物置場と化した店舗もなく、売られているものも新鮮。
近くに現代百貨店やEマート、ショッピングモールがあり立地条件がよいからなのだろうか。