イボイボ隊長達。
2009年2月28日土曜日
2009年2月27日金曜日
2009年2月24日火曜日
失われた未来
2009年2月23日月曜日
アラ ラ。
2009年2月20日金曜日
2009年2月19日木曜日
2009年2月16日月曜日
清涼里駅
2009年2月14日土曜日
2009年2月12日木曜日
メディアタワー
2009年2月11日水曜日
人って何?
ネット社会では、テクストだけで、壁を越えることのできないコミュニケーション。
本当は何を考えているか分からない不気味な“足跡”と“共感するキーワード”をだけでコミュニケーションするSNS。ネット・コミュニティーは、多種多様で雑多なリゾームが増殖するだけで、その中では、私と言う記号でしか存在しない。
そして、私たちはコミュニケーションのための『記号』になっていく。
消費社会では、新しい発想のモノがどんどん作られ、毎日、毎日が新しいモノのコマーシャルの嵐で、人はどこまでいっても完全に欲求が満たされなくなり。
企業は先を越されまいとして必死にグローバル化し、どっかの国が、不況になれば、たちまち雇用調整だ。
そして、私たちは消費社会のための『道具』になっていく。
都市社会では、新しい美術館・博物館・歴史資料館が建ち、感性を磨くはずの芸術・文化・歴史が「欲望の消費」になり、祭はどこでも“よさこいソーラン節”。新しい発想は無く、既存の発想の再解釈のみで、巨大な組織によって意図的に“作られた空間(テーマパークなど)”が増殖。
そして私たち、作られた空間のための『人形』になっていく。
なんでこんなに落ち着かない社会になってしまったのだろうか?この閉塞感は何なんだろうか?この先どうなるんだろうか?
話はちと変わるが今私が住んでいる韓国はもっと深刻だ。
現在、高速道路と街路のデザインの仕事をしているが、今日私の心に衝撃が走った。
高速道路を作るは、インフラとしてしかたがない場合があるが、その沿道地域のニュータウン計画がひどすぎる。
内容はこうだ。
某韓国2番目の海洋都市の市街地化された場所にニュータウンが計画されている。そこは海に近く地域のシンボルとなっている緑豊かな山があり、その山腹に慎ましく普通の人々が生活を営んでいる。山腹であるため眺めもよく、坂道と狭い道が交錯し、日本の尾道のような場所となっている。そこに住んでいる人々は、条件の悪い斜面の土地を買い、子供を生み・育て、将来の豊かな生活を望んで一生懸命働いている。しかし、その場所一体が、ニュータウン計画によりリッチマンのための街になってしまうのだ。今住んでいる人々は立ち退きを命じられ、安い慰謝料を貰い、新天地を見つける必要があるのだ。
これは、排除される側から見れば単なる暴力ではないか。愛した土地、愛した風景、愛した近所の人々がばらばらになり、緑豊かな山も高層マンションで見られたもんじゃない景観になってしまうのだ。韓国の経済活性化を最良とする都市づくりにもはやコメントする意味がない。自分が今までソウルで見てきたニュータウン計画地がすべてこうであったら非常に悲しい。
本当は何を考えているか分からない不気味な“足跡”と“共感するキーワード”をだけでコミュニケーションするSNS。ネット・コミュニティーは、多種多様で雑多なリゾームが増殖するだけで、その中では、私と言う記号でしか存在しない。
そして、私たちはコミュニケーションのための『記号』になっていく。
消費社会では、新しい発想のモノがどんどん作られ、毎日、毎日が新しいモノのコマーシャルの嵐で、人はどこまでいっても完全に欲求が満たされなくなり。
企業は先を越されまいとして必死にグローバル化し、どっかの国が、不況になれば、たちまち雇用調整だ。
そして、私たちは消費社会のための『道具』になっていく。
都市社会では、新しい美術館・博物館・歴史資料館が建ち、感性を磨くはずの芸術・文化・歴史が「欲望の消費」になり、祭はどこでも“よさこいソーラン節”。新しい発想は無く、既存の発想の再解釈のみで、巨大な組織によって意図的に“作られた空間(テーマパークなど)”が増殖。
そして私たち、作られた空間のための『人形』になっていく。
なんでこんなに落ち着かない社会になってしまったのだろうか?この閉塞感は何なんだろうか?この先どうなるんだろうか?
話はちと変わるが今私が住んでいる韓国はもっと深刻だ。
現在、高速道路と街路のデザインの仕事をしているが、今日私の心に衝撃が走った。
高速道路を作るは、インフラとしてしかたがない場合があるが、その沿道地域のニュータウン計画がひどすぎる。
内容はこうだ。
某韓国2番目の海洋都市の市街地化された場所にニュータウンが計画されている。そこは海に近く地域のシンボルとなっている緑豊かな山があり、その山腹に慎ましく普通の人々が生活を営んでいる。山腹であるため眺めもよく、坂道と狭い道が交錯し、日本の尾道のような場所となっている。そこに住んでいる人々は、条件の悪い斜面の土地を買い、子供を生み・育て、将来の豊かな生活を望んで一生懸命働いている。しかし、その場所一体が、ニュータウン計画によりリッチマンのための街になってしまうのだ。今住んでいる人々は立ち退きを命じられ、安い慰謝料を貰い、新天地を見つける必要があるのだ。
これは、排除される側から見れば単なる暴力ではないか。愛した土地、愛した風景、愛した近所の人々がばらばらになり、緑豊かな山も高層マンションで見られたもんじゃない景観になってしまうのだ。韓国の経済活性化を最良とする都市づくりにもはやコメントする意味がない。自分が今までソウルで見てきたニュータウン計画地がすべてこうであったら非常に悲しい。
写真は、地下鉄2号線舎堂(サダン)駅近くの市場。消費社会はこの程度が丁度良いと、この頃感じています。家族、会話、人ごみ、散歩、生活に必要なものだけの商品。韓国には市場がまだいっぱい残っています。市場にいると幸せを感じます。
2009年2月9日月曜日
2009年2月8日日曜日
2009年2月7日土曜日
2009年2月6日金曜日
2009年2月5日木曜日
2009年2月4日水曜日
触ったりできない感触のないただの冷たい空間
外的世界は、私たちの大脳が記録したり移し変えたりするだけで満足するような単なる与件ではなく、大脳自体によっても構築される。……そして、大脳はたえずその外的世界に図式を投影し、その図式が外的世界を意味化する。……私たちの知覚する現実は、外部からもたされる感覚と私たちの大脳から来る投影の間の共同適応による“偶然の産物”なのである。オギュスタン・ベルク『地球と存在の哲学 環境倫理を超えて』
ネット空間やパソコン空間は立体感がなく、空間がどうなっているかよくわからない。そして、それらの空間は興味を持ったら近づいたり、触ったりできない感触のないただの冷たい空間だ。また、その空間には心が存在していなく、本当の暖かい語りかけもない。
今の私たちの大脳は、客体(外的世界)でありながら私たちの主体(内的世界)の一部となってしまっているネット空間やパソコン空間に依存している。その空間は主体(内的世界)の一部であるがゆえに、自分の心が自由になり、自己表現の道具として使用してしまう。そして、本当の暖かさが感じられないこの小さな空間で小さな孤独が好きになってしまう。
ネット空間やパソコン空間は立体感がなく、空間がどうなっているかよくわからない。そして、それらの空間は興味を持ったら近づいたり、触ったりできない感触のないただの冷たい空間だ。また、その空間には心が存在していなく、本当の暖かい語りかけもない。
今の私たちの大脳は、客体(外的世界)でありながら私たちの主体(内的世界)の一部となってしまっているネット空間やパソコン空間に依存している。その空間は主体(内的世界)の一部であるがゆえに、自分の心が自由になり、自己表現の道具として使用してしまう。そして、本当の暖かさが感じられないこの小さな空間で小さな孤独が好きになってしまう。
2009年2月2日月曜日
千戸洞の置屋
千戸市場2
2009年2月1日日曜日
千戸市場
ロッテワールドのあるジャムシルから地下鉄8号線で3個目の駅、千戸駅近くにある千戸市場。
ここの市場は、比較的清潔感のある市場であった。物置場と化した店舗もなく、売られているものも新鮮。
近くに現代百貨店やEマート、ショッピングモールがあり立地条件がよいからなのだろうか。
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