彼らは、カッコイイ、発想が新しい、空間が心地いい などなど、人が感動し人間性が感じられる空間づくりをしていると自負している。
しかし、そうであろうか。
新しいものに出会う感動は良いものであるが、人間の性として必ず厭きがくるだろう。
私は、そんなものに関心がなく、心も動かない。
私は、新しいものの隣で一生懸命誠実に働いている脇役の方々に関心がある。
脇役があってこそ、主役が生きれるのだ。
脇役がいなければ、主役は存在しないのだ。
だから、私は街のなかで脇役が暮らす場所の写真を撮っているのだ。
主役をファインダーに治めても面白い写真は撮れない。撮れたとしても、主役のためのPR写真になってしまうだけだ。そして、そこには、ノイズがない。
脇役を撮ると、人間の現実の問題がファインダーの中に入ってくる。
そして、そこには、ノイズがあり、見る人に問題提起を起こさせるのだ。
写真は死に行く市場の姿を見守る番人