2010年6月19日土曜日

Hearts,

久しぶりに地下鉄2号線の新林駅地下神殿に行った。
ここは、面白いモチーフを探すために、年に1回必ず行く場所だ。
昨年までは、神聖なイメージの場所であったが、今は自転車道が整備され、ハートがお似合いの人の居場所に変わっていた。

2010年6月15日火曜日

生きている古屋

何か、正直、この人間臭さが伝わる感じが好きだ。
動物の住処、生命本来の姿、平坦ではなく均質でない、精神の自由。
猫たちが都市の中で見る風景に近い感じがする。

2010年6月7日月曜日

戯れ

楽しそうに戯れる台車くんたち。
何をしているんだろう?

2010年6月5日土曜日

記憶の断片

壁には、韓国語で“撤去”と書いてある。
京東市場のちょっと北側にあった再整備地区の写真。
人が居なくなった空間に飾って(置いて)ある記憶の断片。

2010年5月29日土曜日

心と光

ソウル市内で開催中のTokujin-Yoshioka展“SPECTRUM”に行って来ました。
 
視線は常にものごと(環境)への理解を求めている。
その理解を求める感覚が科学と芸術を創り出した。
科学は現視覚から生まれ、芸術は擬視覚から生まれた。
プリズムを私たちは科学を通して理解しているが、プリズムの芸術的表現を通して、現視覚と擬視覚が出会い、心と光が出会った。
そんなことを考えさせられました。
 
私たちの視線を線型に直進するものとみなせば、対象物の視覚像は並行する視線の束によって、対象物(像)が接触をうけて産み出された状態だと言えよう。これに対して、想像的な対象物のイメージ(像)は、視覚の束が対象物(像)に接触するのではなくて、対象のあらゆる場所にまったく等価に透過して産み出された擬視覚像にあたっている。『ハイ・イメージ論』吉本隆明