ソウル市内で開催中のTokujin-Yoshioka展“SPECTRUM”に行って来ました。
視線は常にものごと(環境)への理解を求めている。
その理解を求める感覚が科学と芸術を創り出した。
科学は現視覚から生まれ、芸術は擬視覚から生まれた。
プリズムを私たちは科学を通して理解しているが、プリズムの芸術的表現を通して、現視覚と擬視覚が出会い、心と光が出会った。
そんなことを考えさせられました。
私たちの視線を線型に直進するものとみなせば、対象物の視覚像は並行する視線の束によって、対象物(像)が接触をうけて産み出された状態だと言えよう。これに対して、想像的な対象物のイメージ(像)は、視覚の束が対象物(像)に接触するのではなくて、対象のあらゆる場所にまったく等価に透過して産み出された擬視覚像にあたっている。『ハイ・イメージ論』吉本隆明
2010年5月29日土曜日
2010年5月26日水曜日
2010年5月17日月曜日
2010年5月12日水曜日
2010年5月11日火曜日
“空間塁”Photo exhibition用HP開設。
自分が所属する写真グループ“空間塁”の
Photo exhibition用のHPが完成しました。
自分が開催したPhoto exhibition “Noise”の写真も見れます。
↓↓↓
http://www.spacelou.com/
Photo exhibition用のHPが完成しました。
自分が開催したPhoto exhibition “Noise”の写真も見れます。
↓↓↓
http://www.spacelou.com/
2010年5月9日日曜日
2010年5月8日土曜日
創造的なこと
温度や圧力などの環境の変化で物質が多様化するように、木々の葉は光と言う環境感覚を求めていく。
そして、その感覚は目を造りだした。
その目は動く自由を発見し、様々な環境情報を蓄積し、その蓄積が知識や創造性を生みだした。
創造的なことがなぜ面白いかと言うと、その様な変化や新しいものを創るプロセスに似ているからかもしれない。
たしかに、意識と物質は、物質プロセスと情報の活動とがひとつの現実の二つの側面であるような、ある共通の秩序から発展してきたものだということがわかるかもしれないのです。……それらはただ習慣的な反応の場であるにはとどまらず、むしろかくされた創造的な源泉から湧き上がってくるような、なんらかのかたちの知識に近いと言えます。
菅啓次郎 訳 F.D.ピート『シンクロ二シティ』
そして、その感覚は目を造りだした。
その目は動く自由を発見し、様々な環境情報を蓄積し、その蓄積が知識や創造性を生みだした。
創造的なことがなぜ面白いかと言うと、その様な変化や新しいものを創るプロセスに似ているからかもしれない。
たしかに、意識と物質は、物質プロセスと情報の活動とがひとつの現実の二つの側面であるような、ある共通の秩序から発展してきたものだということがわかるかもしれないのです。……それらはただ習慣的な反応の場であるにはとどまらず、むしろかくされた創造的な源泉から湧き上がってくるような、なんらかのかたちの知識に近いと言えます。
菅啓次郎 訳 F.D.ピート『シンクロ二シティ』
2010年5月2日日曜日
重い空
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