2009年12月24日木曜日

垂直爆発

都市は人間のために造られたものだよな。
排除される身にもなってみろよ。
俺たちの仲間は今ここにいない。
人間は俺を文化財だとほざいている。
  
日本でもたまにある道路の真ん中に残された木。
残すよりいっそのこと切ったほうが、
木のためだと考えている。
あれを景観保全と人は言うが、
非常に木が孤独に見えてかわいそうだよ。

2009年12月20日日曜日

2009年12月13日日曜日

CITY OF BITS

ただ画面を見ているだけではなく、 電子仕掛けのサイバースペースの中に居る。

帯域幅が急激に拡大し、コンピュータの筋力も増えるにしたがって、サイバースペースにおける場所は、多感覚を刺激する魅力な場所として認識し始めるだろう。視覚、聴覚、触覚に対してよりリアルになり、ユーザーのより豊かな自己表現手段として機能し、ユーザーの操作に対して、リアルタイムに、そして複雑に反応する。また、より精巧で芸術的なデザインを伴うようになるだろう。われわれは、ただ見ているだけではなく、中にいると感じるようになるだろう。ここでは、徐々に発展するサイバースペース‐‐構造的な規制のない新しい建築や、実際の都市空間での束縛から解放されたアーバニズム‐‐の建築が期待できる。「CITY OF BITS 情報革命は都市・建築をどうかえるか」ウィリアム・J・ミッチェル

2009年12月7日月曜日

Urban forest

風流ならざる処もまた風流。
工事現場の無垢な表情には寂びた風情を感じる。

2009年12月6日日曜日

私を見つめる木

木浦の工場地帯。荒涼とした光景の中で自分の心を見つめる自分の心と同じ大きさの木。
自分の心と対峙する大きな木も良いが、自分自身大の大きさの木も良い。

2009年11月29日日曜日

ビBuilding

昨年から気になってたチョンゲチョン沿いに建つビルが完成したとの情報を得たので、早速撮影に出かけた。
まさにビビルディング!日本のいたるところにあるドコモタワーも奇怪だが、これもかなり奇怪。
モチーフは昔川辺に建ち並んでいた木製の建物らしい。
以前国立歴史博物館でチョンゲチョンの昔の写真を見たことあるが、木製の建物とはスラムの建物。
と言うことは、このビル、スラムをモチーフにした世界初のビル?

2009年11月26日木曜日

休息のひととき

休息するバイク達。機械なのに、なにかホットする佇まいを感じる。

2009年11月23日月曜日

2009年11月16日月曜日

過剰‐Surplus

便利や豊かさは過剰を齎す。
車の過剰、包装の過剰。付加価値の過剰。サービスの過剰。
そして、過剰が齎すものは、ゴミや無駄。
人間にとって過剰ってなんだろうね?
以前ブログで書いたが、商店街を歩くと消費の過剰さはこれぐらいで良いだろうと思う。
巨大スーパーや大型デパート。渋滞を招く過剰な車と過剰な消費。
そこは、罠を仕掛け、仕掛けられた空間。店員に目を付けられ、後を付かれ、声をかけられ。気分が良くないだな。落ち着かないんだな。
商店街には、そんな雰囲気があまりない。しかし、確実に過剰時代に取り残され死滅寸前。
過剰な人の流れに逆らえない老人のための街になってしまっている。
早く、人にとって大事なのは過剰消費ではない世の中になってほしいものだ。
私の理想の消費社会は、本屋みたいな空間。本屋には高級ブランドがない。いくら本を高級にしたって内容に中身が無ければただの紙くずだし、誰も買わない。本の消費の価値は、本の中に書かれている内容だ。自分で探し、発見し、読んだ者だけが身に着けることができる価値がある。そして、後をつけ、声をかける店員もいない。

自分は以前からまちづくりについて考えていることがある。
駅前からパチンコ屋、チェーン店や居酒屋、駅前デッキ(商業施設と駅を直接繋ぐ)、バスターミナルをすべて移動して、その空間に本屋と合体した開放型図書館(24時間営業)と参加型美術館、そして安くて美味しい喫茶店と開放的な広場を置いたらどれだけ楽しくて、心地よくて、文化的な空間になるかと。どの都市も郊外の環境のよさそうなところに立派な美術館を建設しているが、あれは間違いだと思う。有名建築家を起用し、崇高なイメージにして、本来人間にとって重要な役割を果たす、芸術や美術の敷居をわざと高くしている。芸術や美術はもっと身近で可能性があれば誰でも参加できる雰囲気づくりが必要である。
そして、移動した商店街はその周りを囲むように置く。そうすることで、新しい人々の価値ある交流が駅前に生まれ、今の商店街は生き返るだろう。

2009年11月15日日曜日

Winter light

フワフワの光の綿が優しく空中に舞い、寒さを和らげていた。

2009年11月9日月曜日

2009年11月2日月曜日

路地

名もない路地。
韓国の自転車は鍛えられているから絵になる。
 
韓国で自転車に乗る人は、スポーツ目的と仕事(荷物輸送)目的がほとんど。
日本のように、自転車でスーパーにお買い物なんかしない。

2009年10月28日水曜日

Escalator2

巨大スーパーにカートと一緒に乗れるエスカレーターがあるが、あれは嫌いだ。
あれは、人を動物化する機械の魔物(アメリカ型消費社会の象徴)。

2009年10月25日日曜日

Escalator

エスカレーターって、何で乗っているとあんなに気持ち良いんだろう。
エスカレーターって、何で止っているとあんなに気持ち悪いんだろう。
 
動物は常に経験から先を予想して行動している。
 
今見てる現実から判断する脳と、今まで経験したことから判断する脳の思考の戦いが、気持ち悪さの原因だが。
なぜ、今見てる現実を優先して考えられないのかね?脳は。
 
たぶん、動きだすだろうと本能的に先を予想しているのかもしれない。

2009年10月24日土曜日

床掃除車

つぶらな瞳がキュート。
概して、韓国の機械君たちは、結構イケテル。
撮影場所は、4000以上のテナントが入るスペースに、未だ映画館しか入居してない“ソウル最大級”のショッピングセンター、 ガーデン・ファイブ。
http://www.garden5.com/index.html

2009年10月19日月曜日

Times Square2

Times Square新世界百貨店の駐車場入口。
ずら~っと置屋が並んでます。
出入りするのがちょっと~てな感じ。
まあ、日本でも同じようなところ(池袋の東京芸術劇場など)ありますから、なんとも言えませんが。
ずらっと天使が並ぶ置屋の様子はスケベなサイトに任せます。

2009年10月18日日曜日

Times Square

Times Square新世界百貨店ヨンドンポ店がオープンした。
この店舗かなりの巨艦店舗。
日本企業は、韓国では御なじみの無印良品やとんかつサボテン。
4店舗目のココ壱番。韓国内ではめずらしいフランフランが出店していた(調べたら2号店らしい) 。

そして、この店舗の面白いところは、裏通りが置屋街通りであること。
(当ブログの2008年6月9日と10日に当店舗の工事現場写真有り)

2009年10月11日日曜日

Autumn light 7

あったか~いニャ~。
韓国人は猫好きが少ないから、街中に野良猫が少ない。 残念。

2009年10月6日火曜日

Autumn light 6

ポットキャスト“アキバ系 電脳空間カウボーイズ”が、結構面白くてよく聞いている。
以前、知人に薦められてポットキャスト“建築系ラジオ”を聞いたが、全然面白くなかった。
理由は、良い子、出来る子的な話に、今の仕掛け仕掛けられている人間味のない都市空間を見たからである。

2009年10月4日日曜日

遺産

遺産や遺跡、古文書。
それらすべての材料は、石や土、植物(紙)などでできており、
見るものにアウラを与える。
たとえば、ある国の歴史を綴った史書。
その時代の言語、時代を経た素材の感覚など、
見るもの触るものにアウラを与える。

遠い未来が、あらゆるものが情報化され、空間や感覚がバーチャル化された
脳感覚的世界であると考えたとき、
CDやメモリーチップに記憶された文書が発掘されたら、
どのようなアウラを放つだろうか?

2009年9月28日月曜日

Ventilation

この世には、未来的なものはない。
それは今あるものだから未来的ではない。
この“未来的”と言う言葉が嫌いでならない。
この世に存在しないものだから信じることができない。

この換気扇のように、この世は同じ位置でただ回転しているだけ。
同じことを繰り返しているだけ。違いは少しだけなのだ。

その違いを私たちは“未来”と呼んで生きている。

2009年9月21日月曜日

Autumn light 3

反射光の映画において観客は、スクリーンと身体との物理的な距離を保ったまま、対象としてスクリーンを見ている。この距離が映像を対象化し、観客に分析的で批判的な見方を与える。一方、透過光のTVでは、スクリーンを越えて到達する光に視聴者が深く差し込まれてしまうので、映像は実際のスクリーンから離れて、観客の目や身体を擬似的なスクリーンにして現前する。「場所」論、丸田一

光をとらえた写真をプリント紙で見るか、パソコンで見るかで、印象が違う。丸田さんが言うように、パソコンで光を見ると、それに深く差し込まれた印象を強く感じる。

パソコンでは、光が実際の光となって見えてくるから、現実性があるのか、臨場感が高いのかと考えてしまう。
そして、写真をパソコンで見ることが良いのか、プリント紙で見るのが良いのか悩んでしまう。

2009年8月25日火曜日

領域

連なる高い壁。

もし、この壁に多数の扉があったらどうだろうか?
不意に第二者が出てくるかもしれない不安がある。

もし、この壁がすごく長かったらどうだろうか?
不意に第二者が追いかけてくるかもしれない不安がある。

壁は自分の生を敏感に感じることができる。私達は動物であることを。

2009年8月12日水曜日

無題

韓国のキリスト教は金持ちの集まり(エゴの集まり)だから、日本では通用しないらしい。まあ、予想はしていたが、韓国人の牧師さんから聞いたので、事実。
自分が通っている教会は、いろんな教会の牧師や信者の集まった共同体型の教会であるため、統一された理念がはっきりしておらず、ちょっとバラバラな感じがする。
そして、この教会はハブ型教会として、様々な教会と協力しながら成長していく目的で活動しているので、いろんな情報が入ってくる。

私はまだ、キリスト教を信じることは出来ないが、創世記から聖書を読み始めている。

2009年8月9日日曜日

寂しい気配;Lacking sign




韓国天安市(チョンアン市)にあるGold Hill Countyの公園。
ゴルフ場に隣接したファミリー向けの公園であるが、植物園、蝶々館が営業休止中。
人影がなく、ただ静物だけが楽しそうに人々を待っているようだった。

2009年8月3日月曜日

道具のaura

使われて、使われて本物になっていく道具。
複製できないこの鍛えられた美しさ。
完全なオリジナルになっていく。
使われている道具は、「いま」「ここ」にしかいないアウラを持っている。

私は、それらの道具に展示的価値を与えたいと考えている。

2009年8月2日日曜日

hangdong貯水池;공간-­루offline-meeting


공간-­루offline-meetingに参加。
ソウル市南西部の九老区温水駅近くを通る貨物線周辺を散策した。
ソウル市内とはいえ、自然が多く残る田舎のような風景が広がり、自分の故郷に帰ったような気持ちになった。

2009年7月30日木曜日

柱(世宗文化会館)

“カメラに語りかける自然は、眼に語りかける自然とは違う。
その違いは、とりわけ、人間の意識に浸透された空間の代わりに、
無意識に浸透された空間が出現することになる。”
 
ヴァルター・ベンヤミン「複製技術時代の芸術」

2009年7月27日月曜日

楽しい機械村(乙支路工場地帯)



裸で懸命に働くミニ鉄工所の若者。
屋外トイレ。
渦巻くホース達。
 
ここ乙支路工場地帯は、突然の出会いがある迷路のような街。テーマパークのように作られ仕掛けられた出会いよりもリアルに楽しめる。