便利や豊かさは過剰を齎す。
車の過剰、包装の過剰。付加価値の過剰。サービスの過剰。
そして、過剰が齎すものは、ゴミや無駄。
人間にとって過剰ってなんだろうね?
以前ブログで書いたが、商店街を歩くと消費の過剰さはこれぐらいで良いだろうと思う。
巨大スーパーや大型デパート。渋滞を招く過剰な車と過剰な消費。
そこは、罠を仕掛け、仕掛けられた空間。店員に目を付けられ、後を付かれ、声をかけられ。気分が良くないだな。落ち着かないんだな。
商店街には、そんな雰囲気があまりない。しかし、確実に過剰時代に取り残され死滅寸前。
過剰な人の流れに逆らえない老人のための街になってしまっている。
早く、人にとって大事なのは過剰消費ではない世の中になってほしいものだ。
私の理想の消費社会は、本屋みたいな空間。本屋には高級ブランドがない。いくら本を高級にしたって内容に中身が無ければただの紙くずだし、誰も買わない。本の消費の価値は、本の中に書かれている内容だ。自分で探し、発見し、読んだ者だけが身に着けることができる価値がある。そして、後をつけ、声をかける店員もいない。
自分は以前からまちづくりについて考えていることがある。
駅前からパチンコ屋、チェーン店や居酒屋、駅前デッキ(商業施設と駅を直接繋ぐ)、バスターミナルをすべて移動して、その空間に本屋と合体した開放型図書館(24時間営業)と参加型美術館、そして安くて美味しい喫茶店と開放的な広場を置いたらどれだけ楽しくて、心地よくて、文化的な空間になるかと。どの都市も郊外の環境のよさそうなところに立派な美術館を建設しているが、あれは間違いだと思う。有名建築家を起用し、崇高なイメージにして、本来人間にとって重要な役割を果たす、芸術や美術の敷居をわざと高くしている。芸術や美術はもっと身近で可能性があれば誰でも参加できる雰囲気づくりが必要である。
そして、移動した商店街はその周りを囲むように置く。そうすることで、新しい人々の価値ある交流が駅前に生まれ、今の商店街は生き返るだろう。